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やっと落ち着いた

10月22日にアメリカの視察研修から戻ってきて、すぐに高松、名古屋へと出張を
して、今日が久しぶりの息抜きです。

21回目の海外渡航にして、初めてアメリカ大陸に足を踏み入れました。
視察研修と言っても、参加者の半分くらいは褒賞旅行みたいな感じなので、
それなりに観光もできました。
アメリカの写真はおいおい掲載して行こうと思っています。

アメリカの印象は。。。
悪くはなかったけど、良くもなかったかな。少なくとも自由の国という
印象はないですね。どこに行ってもセキュリティチェックばかりで、
あれだと欧州の方がず~~っと自由な感じがします。もちろん、自由という
言葉は行動に制限がないという意味だけではないので、言論の自由や
職業選択の自由などいろいろありますけど、少なくとも公共施設と言われる
場所におけるセキュリティチェック者は常に絶対的な権限を持っていて、
少なくとも私の知る限り、感じの悪い人達が多かったことは確かです。
8年前に初めてベトナムに行ったときに公安(国家公務員)に対して
もった印象と大差はありませんね。少なくとも相手を人格を持った人間とは
認識していないと感じさせられました。

一方で、美術館ではフラッシュを使っての写真撮影を認めてくれたり、
ワシントンの大半の芸術系の建物は入場無料だったり、そういう面での
おおらかさを感じました。

で、もう1回行きたいか?
ニューヨークはもう一度行きたいかな。これはニューヨークが好きなのではなく、
美術館やオペラハウスを回りきれなかったから。私の性格にはニューヨークという
街は合わないことが理解できました。目的を持って、それだけを追求するため
だったら行っても良いかな?という程度。

もしも長期滞在するのなら、フィラデルフィアのような古き良き時代を感じさせて
くれる街を選択したいと思います。

今回の視察旅行は東海岸側のしかも北東部限定でしたから、西海岸や中部に
行くと別の感想を持つかも知れません。

週明けから、熊本、福岡へ出かけるので、またもや更新をサボってしまうかも
しれませんが、気長にアップしていきます。

越えられない友

今回の内容、どこかで書いた記憶があります。ブログはここしか書いてないので、自分の
書いた過去のブログで検索したのですが、見つかりませんでした。書いた記憶はあるのに、
どこに書いたか思い出せないなんて・・・年は取りたくないものです。もしも同じような
内容の文書を読んだ人がいたらごめんなさい。

さて、海外研修の出発前にお気に入りの皆さんのサイトにお伺いしてたのですが、
puffinさんのブログで、映画「世界の中心で愛を叫ぶ」が取り上げられていました。
この映画、流行りものとは縁遠い私は、先日、WOWOWで放送されるまで
見ていませんでした。そもそも、映画を見たきっかけも、私の母親がドラマ版を見ていたので、
「映画とドラマとどんな風に違うか見てみたいけど私の部屋(←母親の部屋)では
見えないから、見せて」と言ったことがきっかけでした。

この映画、見てみると、自分の実体験とオーバーラップすることがたくさんありました。

まずは、時代設定。主人公は私と同じ年。BGMで使われている音楽は、自分の高校時代が
そのまま再現されていて、とても懐かしく感じました。
次に、映画の舞台。私の生まれ育った県の向かい側で撮影された映画で、当時の様子が
思い出されます。

こうした前提条件のもとに、映画の最初のシーンで校長先生のお葬式のシーンが出てきますが、
私の高校では、ちょうど17歳のときに生徒から人気のあった先生が自殺をしたのです。
その時のことが真っ先に浮かんできました。

そして、決定的だったのが、主人公の病気。
17歳の夏、同じクラブ活動をしていた友人が、病気になりました。
ものすごくおとなしくて控えめで目立たなかった彼が、突然、病気で入院したのは、夏の
吹奏楽コンクールをすぐ直前に控えた頃でした。最初のうちは体調を崩しているだけだと
思っていたのですが、何時までたっても彼は学校に帰ってきませんでした。そのうち、
彼の病気が簡単なものではないことが、私たちにも理解できました。
そして、数ヵ月後、彼は学校に戻ってきました。全ての頭髪が抜け落ちた状態で。
病気をしているわけですから、体力的に大変なのは当然ですが、それに加えて、普通の高校生が
頭髪もないまま学校に登校するというのは、精神的な面でも相当な苦痛だったはずです。
周囲のみんなは休学をして、しっかり病気を治したほうが。。。と言っていましたが、
部活動の担当の先生からは「学校に行きたいという気持ちが彼の精神的な支えになっているから、
みんなでしっかり支えてあげて欲しい」と伝えられました。授業に出ても数ヶ月のブランクは
簡単に埋められるものではなく、部活動に来ても病気の影響で肺活量が落ちてしまい、満足に
音もでない。そんな状態でも彼は頑張って登校していました。でも、結局、出席日数が足りず、
留年することになってしまいました。

私たちは高校3年生になり、彼は2年生のまま春を迎えました。もちろん、実際にどのような
状況だったかを直接見る機会はありませんでしたが、見知らぬクラスメート達の中でも、
彼は前向きに頑張っていたと聞いています。

でも、病気は確実に彼を蝕んでいきました。ある日、彼の病室にお見舞いに行ったときに、
彼の口から病気のことを聞きました。彼は自分の病気のことを「ホルモン性の病気であり、
若年であればあるほど進行が早いんだ。でも逆にいえば、一定の年齢まで頑張れれば、ある程度、
症状がコントロールできるようになる。だから、もう少しだけ我慢していれば、
きっとよくなる。」と。

でも、病気の進行を抑えることは困難でした。最初のうちは、大部屋にいた彼も、
個室に移らざるを得なくなり、そして酸素マスクが手放せない状態にまでなってしまいました。
そんな状況になっても、彼は同級生達がお見舞いに行くと、絶えず笑顔で、それまでしていた
酸素マスクをはずして、「外の空気を吸いに行こうよ」というのです。どんなに
咳き込んでいても、どんなに熱が高くても、彼はいつも笑顔で私達を迎えてくれました。
そして、歩くことが困難になってからは必ずベットに座って私達を待っていました。でも、
その姿を見て、私達はお見舞いにいくことを躊躇ってしまいました。お見舞いに行くことが
彼の負担を増やしているのではないかと・・・。

季節は進み、冬が過ぎ、春が来ました。私は受験に失敗し、滑り止めで受けた東京の私立大学に
進むことになりました。そして、上京してしばらく、ゴールデンウィークが過ぎた頃、
彼が亡くなったという連絡を受けました。その連絡を受けたときにはすでにお葬式は済んでおり、
結局、私は彼の最後の姿を見送ることが出来ませんでした。
併せてご両親からのメッセージも伝わってきました。「うちの息子は皆さんに親切にしてもらい、
とても幸せだったと思います。意識が無くなる直前まで、みんなによろしく伝えてほしいと
言っていました。」と。

この映画を見て、そうした当時の様子が鮮明に蘇ってきたのです。

年をとればとるほど、彼のすごさが分かってきました。
彼の年齢の倍も生きているにもかかわらず、私は18歳の彼を今も越えられないでいます。

DANKE!!

今日、久々に友達にあってきました。「3週間遅れだけど・・・」ということで
誕生日プレゼントまでいただいて。まずは誕生日プレゼントありがと!!

彼女とはかれこれ14年の付き合いかなぁ。1年に1回くらいしか会わないけど、
なんだかんだ言いながら関係が切れないまま過ぎてます。

彼女と初めて会ったのは、私が初めて海外旅行に出かけたドイツのベルリン。
バンベルグで感動的な体験と素晴らしいコンサートを聴いた後、夜行電車に乗ってベルリンへ
移動したのですが、その時、偶然一緒になったのが、日本で彼女と一緒の大学に通っている男性でした。
彼はいわゆる遊学の最中で、「普段はイギリスに住んでるんですけど、ドイツに留学していた
友達が明日の帰国便で帰国してしまうので見送りのためにベルリンに行くんですよ」ということで、
色々は話をしていく中で、思いがけず気があって、ベルリンのZoo駅まで一緒に移動しました。
電車は午前8時頃にベルリンに滑り込み、彼と彼女の待ち合わせ時刻は夕方17時ということ
だったので、彼の方から「ベルリンには一度来たことがあるから案内しましょう」との提案を
二つ返事で受けた瞬間、「あれっ、○○じゃん」という女の子の声がしました。
偶然、彼女も同じ電車に乗ってベルリンに入ってきたらしく、期せずして彼と彼女が
Zoo駅で遭遇してしまったようでした。電車の中で彼女への気持ちを聞いていたので、
もちろん私は、「じゃ、これで」と言ったのですが、二人揃って「せっかくだから一緒に
観光しましょうよ」と押し切られてしまいました。これをきっかけに以来14年、1年に
1度くらいしか会わないけど、ず~~~っと変わらず友達関係が続いています。

この14年間で変わったのは、私の体型と彼の髪の毛くらいかも知れません。(^^;
ちなみに最近、彼とは直接会う機会が無いのですが、彼は役者志望で、特性(?)を生かして
○○○ネーチャーのCMに出ているので、元気で活躍していることだけは確認できてます。(笑)

これも旅行に出かけて得た財産の1つですね。