この科学者は日本の芸人特有の上下関係や空気を読む様な形式を批判していた。また、海外のコメディアンの社会風刺や権力者批判みたいな発言がない芸人の当たり障りのなさから、日本の芸人は終わったコンテンツだと発言していた。
この発言に日本の芸人は怒り出すわけである。
この事例を見ていて、人は嫌いなもの、まぁ好きなもの、嫌いな意見、好きな意見、に対して根拠、理由付けをつけたがるなぁ、と感じた。
この事例では、
要は最近の日本の笑いってつまらないなぁ。閉塞感があるなぁ。
位の意見を言うためにわざわざ海外の風刺するコメディアンを持ち出してもっともらしさを作り出そうとした。
言ってることはわかるけど、そんな言い方したら人生掛けて笑いを作り出そうとしたしている人々は怒るだろうなぁ、と感じる。
この話LGBT批判をした議員にも当てはまるかもである。
私はLGBTが嫌いである。
を言うためだけに生産性という言葉まで持ち出してしまった。
意見を言うのが自由で大切なのは当たり前だが、その物言いを間違えると延々批判されたり、揚げ足を取られ続けることになる。
特に長く続く文化なんかの場合は特にで、続くにはそれなりの理由があって、利点があるはずだから、バッサリ批判してしまうと、しっぺ返しが来たりする。
嫌いだけど良いもの、悪いけど好きなものも存在する、って話である。世界の中心は自分ではないのだから。