鹿児島市加治屋町(かじやちょう)は、江戸時代、薩摩藩の下級武士たちの居住地でした。

幕末、この地で誕生した藩士の多くが倒幕運動や明治維新で活躍。

さほど広くもない町内の中に、歴史的な有名人の生誕の地がゴロゴロ転がっています。

薩摩藩の中心的人物・西郷隆盛の生誕の地碑。

大山巌の生誕の地碑。

大山巌は西郷さんのいとこで、西郷さんの下で戊辰戦争にも従軍し、明治政府では初代陸軍大臣にもなりました。

西郷さんの後輩で、日露戦争・日本海海戦ではバルチック艦隊を撃破して日本を勝利に導いた東郷平八郎生誕の地碑。

東京では東郷神社の祭神として祀られています。

大久保利通生い立ちの地碑(生誕地は別の場所)。

政府への反乱である西南戦争を鎮圧した身でありながら、反乱を起こした西郷さんに比べて全然人気がない大久保さん。

僕もこの碑の存在は全く忘れてました…。

多くの歴史的人物が輩出されていることから、加治屋町には維新ふるさと館も建てられています。

館内では薩摩藩の歴史や明治維新についての解説がされています。

薩摩藩が作った日本初の洋式軍艦・昇平丸。

まだ日本に国旗がない幕末、昇平丸は日本籍を表す船印として初めて「日の丸」を掲げた船で、のちに日の丸は日本の国旗になりました。

天文館方面へ歩きます。

天文館の西郷さんは銘板込みで撮影するのが好きなんだけど、左隅にパルクス(ラブホ)の看板が入っちゃうんだよね。

観光地のそばなんだからラブホの看板は引っ込めなさい。

島津氏の居城・鶴丸城。

久しぶりに来てみたら、立派な城門ができていました。

門裏手の石垣には多くのくぼみがありますが、これは西南戦争の際にできた銃撃や砲撃の跡です。

一部には破片がそのまま残されています。

西郷隆盛は薩摩藩の実質的なリーダーとして戊辰戦争(江戸幕府と明治政府の戦い)で勝利し、明治政府でも要職に就きましたが、征韓論に敗れて鹿児島に下野。

鹿児島では私学校を設立して後輩の育成にあたっていましたが、明治政府に危険視されたことからついに生徒たちが反乱を起こしてしまいました(西南戦争)。

西郷は生徒たちに旗頭としてかつぎだされ(反乱を鎮めようともしなかったけど、積極的に反乱を起こそうとした感じもないのでこういう表現にしました)進軍を開始。

西郷軍と明治政府軍の戦端は熊本にて開かれましたが、当初から西郷軍は劣勢で結局、地元鹿児島へ敗走してしまいました。

西郷軍は鶴丸城の裏手にある城山に立てこもりましたが、明治政府軍の攻撃で西郷が被弾し、部下の介錯によって自刃…ここに西南戦争は終結しました。
西郷さんは号を南洲(なんしゅう)と称したことから、鹿児島では南洲翁とも呼ばれています。
西郷さんが自刃した場所は南洲翁終焉之地として現在は史跡となっています。
西郷さん終焉の地から15分ほど歩いた高台にある南洲墓地。
南洲墓地は西郷軍の戦死者6800名が眠る墓地です。
お墓には大きく年齢が書いてあります。
中には少年隊士のお墓も。
中心には西郷さんのお墓があります。
墓地隣の西郷南洲顕彰館では、西郷さんの生涯を分かりやすく学ぶことができます。
同じく墓地隣の南洲神社。
こちらは西郷さんを祭神として祀る神社です。
人が真面目に歴史を語っている時に妨害するのはやめたまえ!
ちなみにこの猫は南洲神社の人気猫のコロちゃんですイヒ
西郷さんならば生徒たちの反乱を鎮められたはずなのに、なぜそれをしなかったのか-その時の西郷さんの本心は僕には分かりません。
もやもやした気持ちが残りますが、江戸城無血開城を通して西郷さんと親交があった勝海舟先生の詠んだ歌を見てしっくりきました。
悲しい歴史の残る場所ですが、久しぶりに訪問できてよかったですニコ
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帰りに「三平らーめん 照国本店」で黒味噌ラーメンを食べました。
鹿児島らしからぬラーメンでしたが、ねっとり濃厚でとても美味しかったです!
…が、残念な点が1つ。
鹿児島のラーメン屋で確実に出てくる大根の漬物がついてなかった(下の写真は以前にざぼんラーメンで撮ったもの)。
ラーメンマニアではないからはっきり言えないけど、大根の漬物の出ない鹿児島のラーメン屋は珍しいんじゃないかな。
今度はちゃんと大根の漬物の出るラーメン屋さんに行こうっと。