【平将門】
平将門は、平安時代中期に朝廷から関東を拝領していた平氏一族の長です。
しかし、領内で悪事を働く朝廷の役人を倒したことをきっかけに関東を制圧し、「新皇」を名乗って独立。
逆賊として朝廷軍に征伐された将門は討ち死にし、その首は遠く平安京に運ばれて三条河原で晒し首にされました。
将門は日本の歴史の中でも珍しい朝廷に歯向かった人物であり、将軍の力が強い時代(鎌倉~江戸)は英雄として崇拝されました。
また、現在でも「武神」「関東の守り神」として人々から信仰されています。

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東京名所 No.0001
【平将門の首塚】
三条河原で晒し首になっていた平将門の首は支配地である関東を目指して空へ舞い上がり、途中で力尽きて今の大手町付近に落ちました。

首は塚に祀られましたが周辺で怪異が起こったため、当時首塚の近くにあった神田明神や築土神社で将門の霊を祀って、ようやく怪異は静まったと言われています。

首塚は現在でも大手町ビジネス街の中に鎮座する神聖な場所になっています。

「関東へ帰る」から「無事帰るカエル」につながり、出張や旅行の安全祈願にお参りされる方もいます。

【所在地:千代田区】

①日中友好会館美術館

集合後、日中友好会館内にある中華料理店・馥(ふく)でご飯を食べました。

本格中華のお店ですが、料金はそこまで高くないです。

僕は激ムズ漢字の「𰻞𰻞麺」をいただきました。

漢字も変わってますが、見た目もインパクト抜群の幅広麺!
初めて食べたけど美味しかったですよにやり

馥の目の前にあるフロアには、日中友好会館美術館があります。

こちらでは中国の伝統工芸や書画、現代アートなど幅広い分野の展覧会を開催しています。
訪問日は書道の作品展でしたが、𰻞𰻞並みに難しい漢字がたくさんありました。

②小石川後楽園

江戸時代、水戸藩の屋敷があった場所であり、水戸黄門でおなじみ徳川光圀が屋敷内に造営した庭園が後楽園です。

造営には明の儒学者・朱舜水の意見が取り入れられており、「後楽園」の名や、中国の景勝地の名前がついた景観などにその影響が見られます。

東京ドーム側にある内庭。

江戸時代は、奥に見える門をくぐった先が、大泉水を中心とした広大な庭園・後楽園となっていました。

門は2020年に再建されたものです。

江戸時代には屋敷内を神田上水が流れていました。

今でも上水跡を示す水路が残っています。

小石川後楽園は都内の花菖蒲の名所の一つに数えられています。

訪問日は見頃中の見頃で、とても綺麗でした。

花菖蒲園の隣の小山へ。

緑深い中に、八卦堂跡や円月橋、得仁堂などがあります。

小廬山から。

水辺にはカモの親子がいました。

その他、園内を軽く一回りしてきました。

薄曇りの方が歩きやすいし、写真も撮りやすい。

今回は時間に余裕があったので、のんびりと散策できました。

③明治神宮

電車で代々木まで移動して明治神宮へ。
1912年(明治45年)に明治天皇が、1914年(大正3年)に昭憲皇太后が崩御すると、二人を祀る神宮建設の機運が高まり、1920年(大正9年)、当地に明治天皇と昭憲皇太后を祭神として祀る明治神宮が創建されました。

植林により一帯は広大な緑地となり、現在は参拝や散策で多くの人が訪れる東京の名所になっています。

なお、現在は外国人観光客だらけの場所と化していました。

お前ら明治天皇のことなんて全く興味ないだろ…。


本殿裏手にある草っぱらへ。

もう少し涼しい時期なら敷物で持って行ってのんびりしたかったな。

亀さんもいます。

こっち付近は裏手なのであまり人がいなくて、のんびりと散策できます。

本殿へ。

もはや日本人より外国人の方が多いです。

かつて大名庭園だった神宮御苑へ。

明治天皇が昭憲皇后のために造った花菖蒲園があり、現在でも150種、1500株の花菖蒲が植えられています。

花菖蒲園まで歩きます。

皇后の休憩所・隔雲亭や池も見ていきましょう。

おお、こっちも花菖蒲は綺麗ですねぇ。

後楽園と違ってこちらはわりと植えられている地面が露出しています。

こんな田んぼみたいな泥の場所でも育つんだね。

御苑を出て、原宿駅側へ進みます。

奉納された菰樽(こもだる)は、人気の撮影スポットになっています。

2019年開館の明治神宮ミュージアムへ。

撮影禁止なので中の写真はありませんが、明治神宮と昭憲皇后ゆかりの品々が展示されています。

パレードに使われた馬車など、見ごたえがありました。

美術館を出ると、原宿駅はもう近くです。

入口の大鳥居に着きました、今回はここで終了です。

訪問地が2ヶ所だけでしたが、花菖蒲もたっぷり見れて参加者の皆さんにも喜んでいただけました。

最後までありがとうございました、また次回以降の企画もよろしくお願いします風鈴

①深大寺

11時に調布駅に集合し、バスで深大寺へ。

昼前だし、まずは名物・深大寺そばでも食べに行きましょうかね。

この日はいつも以上にお客さんが多く、待ち時間も長かった!

今回は深大寺前にある「きよし」のそばを食べました。

美味かったですよ、頑張って並んだ甲斐がありました。

深大寺は奈良時代の733年に満功上人が開山した法相宗の寺院で(現在は天台宗)、都内では浅草寺に次ぐ古刹です。
境内のはずれにある深沙堂は縁結びのご利益があり、恋愛にちなんだ絵馬がたくさん奉納されていました。

参加者の皆さんは初めての深大寺だったので、その人の多さに驚いていました。

確かに人は多いけど鬱陶しい外国人は少ないので、縁日感があってとても楽しい場所です。

深大寺の楽しみと言えば食べ歩き!

今回も参道のお店・あめやで名物のそばぱんを食べました。


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②神代植物公園

深大寺に隣接する植物公園で、5月はバラフェスタが開催されています。

訪問日はまさに見頃!

今日は当たりだったな。

少し自由時間を設けて、皆さんにバラを楽しんでもらいました。

陽射しは少なかったけど、バラ園訪問時は蒸し暑かった!

バラ鑑賞後、みんなでバラソフトを食べました。

今回は食欲旺盛野郎回だったので、めちゃくちゃ食いました。

大温室では、南国の変わった樹木、ランやベゴニア、熱帯の植物を見ることができます。

広い園内なので、花が綺麗なスポットを中心に見てまわりました。

綺麗な花をたっぷり見れましたにやり

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③調布のゲゲゲスポットめぐり

さて、今回は予定のスポット訪問がやけに早めに終わってしまった。

今回の参加者は若い男性諸君で、まだまだ元気そうだったので、歩いて調布駅に戻りつつ、調布市に縁の深い水木しげる先生のスポットを巡ることにしました。

※写真を撮りそびれたので、別日に撮影した写真を使用しています。

まずは水木しげる先生のお墓。

戦争から戻った水木先生は奥さんと共に調布へ住み、貸本漫画家として活動。

鬼太郎シリーズは現在でも繰り返しアニメ化されており、調布市の名誉市民に選ばれています。

調布駅の西にある鬼太郎ひろば。

水木キャラのオブジェや遊具が設置してある楽しい広場です。

広場から調布駅に向かう道(元は京王線の線路)にも、たくさんの水木キャラの像が設置されています。

駅の北にも鬼太郎マンホールや像があります。

また、深大寺参道から移ってきた鬼太郎茶屋もあります。

店内のカフェや展示室はなくなりましたが、鬼太郎スイーツは健在。

たっぷり歩いたので、冷たいスイーツがうめえイヒ

最後に鬼太郎駐輪場や妖怪ポストも見学。

今回はここまで。

暑さもまだそこまでじゃなかったし、追加の散策もできて実に充実した回でした。

参加された皆さん、最後までお疲れ様でした。
また、次回以降もよろしくお願いしますニコ

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おまけ。

4月の深大寺のなんじゃもんじゃの木と、植物園のツツジ、フジ。

また、季節を変えて行ってみてください。

①目白庭園
目白庭園は1990年(平成2年)に豊島区が作庭した池泉回遊式庭園です。
池の周りには六角浮見堂や滝見台、赤鳥庵が配され、春は枝垂れ桜、秋は紅葉が楽しめる都会の庭園となっています。

②自由学園 明日館(みょうにちかん)
1921年(大正10年)、羽仁吉一・もと子夫妻が設立した女学校が自由学園です。
昭和の初期、生徒数増加によって学校は東久留米市に移転しましたが、旧校舎はそのまま残されて明日館と命名。
重要文化財に指定されていますが動態保存の考えのもと、現在でも様々なイベント会場として一般にも開放されています。

部屋の一部はレトロでおしゃれなカフェになっています。

③雑司ヶ谷鬼子母神堂

桜の綺麗な時期なので法明寺の参道では桜まつりを開催中でした。

インド神話に登場する女夜叉・鬼子母は、人間の子供をさらって食らうことから、人々から恐れられていました。

しかし、お釈迦様にその悪行を諭されて改心。

安産や子守りの神「鬼子母神」に生まれ変わり、人々から尊崇されるようになったと伝わっています。

1561年、清土の地から鬼子母神像が掘り出され、その像を当地の堂宇に祀ったことが雑司ヶ谷鬼子母神堂の始まりです。
現在の本殿は江戸時代の1664年に建立されたもので、重要文化財に指定されています。

境内には昔ながらの駄菓子屋・上川口屋もあり、たくさんのお客さんが来ていました。

ケヤキの参道にある雑司が谷案内処にはちょっとした見学スペースもあります。

今回のコースは、インバウンドの外国人が少なかったのでのんびりと散策できました。

④雑司ヶ谷霊園

雑司ヶ谷霊園には数多くの著名人のお墓がありますので、一部を紹介させていただきます。

A級戦犯・東條英機のお墓。

遺灰を米軍によって太平洋に投棄されたので、ここに遺灰は納められていません。

小泉八雲は、1850年、ギリシアでラフカディオ・ハーンとして生まれ、のちに来日して小泉八雲に改名しました。
日本文化を紹介する著書を数多く残し、代表作の一つ「怪談」は、妻セツから聞いた日本各地の伝説、幽霊話などを再話して文学作品化したものです。

竹久夢二は、明治~昭和初期の画家、詩人。
大正ロマンを代表する画家で、数多くの美人画を残しました。

千円札の肖像にもなった夏目漱石のお墓。

大きくて変わった形の墓石です。

ジョン万次郎こと中濱万次郎のお墓。

⑤雑司が谷旧宣教師館
1907年(明治40年)にアメリカ人宣教師マッケーレブが自らの居宅として建築し、帰国するまでの34年間をこの家で生活しました。
19世紀後半のアメリカ郊外住宅の特徴である質素な造りとなっており、豊島区に現存する最古の近代木造洋風建築物として文化財にも指定されています。

⑥清土鬼子母神堂
清土鬼子母神堂は、雑司ヶ谷鬼子母神堂に安置されることになった鬼子母神像が出土した場所です。
星の井(鬼子母神像を洗い清めたという三角井戸)が珍しいです。

⑦護国寺
1681年、江戸幕府の五代将軍・綱吉が生母・桂昌院の願いをうけて建立した祈願寺で、桂昌院所有の琥珀の如意輪観世音菩薩が本尊となっています。

1697年建立の本堂は、国の重要文化財に指定されています。

富士塚もあり、山頂まで登ることもできます。

護国寺の墓地にも有名人が眠っています。

まずは「巨人の星」「タイガーマスク」などの原作者・梶原一騎先生(本名:高森朝樹)。

売れっ子となると同時に生活が荒れ始め、様々なトラブルを起こしたことがちょっと残念ではあります。

早稲田大学の創立者として有名な大隈重信のお墓。

ジョサイア・コンドルは、イギリスの建築家で、明治時代にお雇い外国人として来日しました。
鹿鳴館、三菱一号館、旧岩崎邸庭園などの建築物を手掛ける一方、日本人建築家(辰野金吾、片山東熊など)の育成にも尽力しました。

終わりです。

参加してくれた皆さん、最後までありがとうございました 。