第116回と第117回は訪問順が違うだけで内容はほぼ一緒なので、第117回にまとめてのブログとさせていただきます。

写真は両回のものを混ぜて使用しています。

----------------------------------

鶴見駅の近くにある諸嶽山(しょがくさん)總持寺へ。

ここは曹洞宗の大本山であることから、都内の有名なお寺にも負けないほど広大です。

入口近くにある地図。

全部を見て回るのは大変なので、見どころのお堂や碑などをピックアップして見学します。

三門は鉄筋コンクリート造りの三門としては日本一の大きさで、「諸嶽山」の扁額が掛けられています。

1951年(昭和26年)に発生した列車火災事故「桜木町事故」の犠牲者を慰霊する桜木観世音菩薩。
現在でも毎日お経があげられています。

1963年(昭和38年)に発生した列車多重衝突事故「鶴見事故」の犠牲者を慰霊する鶴見事故慰霊碑。

「マニュアルは血で書かれている」…こういう大きな事故の犠牲者によって電車の安全性は高まっていったのです。

總持寺の墓地には昭和の名俳優・石原裕次郎のお墓があります。

亡くなって数十年経ちますが、今でもお墓参りに訪れるファンが絶えません。

西部警察はよく見てたな、僕もお参りできてよかったです。

墓地から境内に戻ってきました。

暑くて一休みしたいところですが、頑張って境内を巡ります。

總持寺の総受付・香積台(こうしゃくだい)。

中央廊下のつき当たりには、日本最大の木彫の大黒尊天が奉安されています。

最大というか、頭がでかい!

百間廊下は長さ164mの廊下で、修行僧たちによって1日2回の雑巾がけが行われています。
鶴見事故の際はこの廊下に犠牲者の遺体が安置されたことから、現在でも雑巾がけに併せて廊下の土間に2本の水の線を引く水供養が行われています。


奥にある大祖堂は、開山堂と法堂を兼ねた巨大な本堂で、地下には客殿もあります。

離れて撮っても写真に納まりきれないほどの大きさです。

一通りの散策が終わったので、境内カフェ「茶房おかげや」で昼食休憩にしましょう。

クソ暑かったので、冷たい稲庭うどんを食べてさっぱりしましたニコ

---------------------------------- 

ビール工場見学まで時間があったので、おまけ企画だった鶴見線の珍駅巡りへ出発!

鶴見線は、鶴見駅から京浜運河沿いの扇町駅を結ぶ路線で、途中には二つの支線(海芝浦支線と大川支線)もあります。

鶴見線の概要についてはスーツ交通の動画が非常に分かりやすいです。

僕も散策系ユーチューバーになりたい、広告収入くれzzz

海芝浦行きの電車に乗り、終点の海芝浦駅を目指します。

下の写真は車窓の風景ですアセアセ

終点の海芝浦駅に到着しました。

開いたドアの先はホームと海!

海芝浦駅は東芝の工場内にある駅で、東芝の従業員しか駅から出ることができません。

なので一般人がこの駅に来る必要は全くないのですが、「駅のホームから海が間近に見える駅」として有名なことから観光目的で訪れる一般人がたくさんいます。

改札付近。

右が東芝ですが、こちらは写真撮影禁止なのでカメラを向けないようにしましょう。

改札の先には東芝が設置した小公園・海芝公園があります。

こちらからは鶴見つばさ橋や横浜ベイブリッジを望むことができます。

扇島にある工場群も見えるので、夜に来てもよさそう星空

参加した皆さんもたくさん写真を撮っていました。

珍駅として有名な海芝浦駅ですが、電車の本数が少ないので事前に到着時間/出発時間を確認の上で訪問しましょう。

あと天気もね、やっぱり晴れていた方がいいかも。

鶴見駅へ戻る途中にある国道(こくどう)駅。

こちらは駅のホーム下がまるで廃墟のようになっている駅です。

駅は1930年(昭和5年)に開業。

開業当初、アールデコ風の駅ホーム下は貸し物件の商店街として使われていたそうですが、現在は飲み屋が1軒あるだけでさびれまくっています。

ちなみに現在でも一部の物件には人が住んでいるようです。

間取りとかどんな感じなんだろ、気になるな。

こちらも人気の珍駅で写真中央にいる女の子も撮影目的みたいでした。

一人じゃ寂しいでしょ、サークルに参加しなさいにやり

夜とかガチで怖そうだけど、近隣の人たちにとっては普通なんだろうなぁ。
あと数年で開業100年か、ここまで来たら自然崩壊するまで頑張れにやり
---------------------------------- 

電車に乗って生麦駅へ。

な、生麦ご当地ガチャ…マニアックすぎるアセアセ

キリンビール横浜工場の前の通りは旧東海道であり…

工場から東に800mほど進んだ場所では、かつて生麦事件が起こりました。

生麦事件は幕末の1862年に、武蔵国の生麦村で発生した外国人殺傷事件(薩摩藩の大名行列に入り込んだイギリス人観光客が斬られた事件)です。

この事件でイギリスは怒り、翌年の薩英戦争へと続きますが、この一連の薩摩とイギリスの接触は、幕末の薩摩藩の方向性を変える大きなきっかけになりました。

事件では商人のリチャードソンが死亡しました。

現場から逃げ出したリチャードソンがとどめをさされた場所は、現在のビール工場付近であります。

少年時代に生麦事件を目撃した鶴見村の名士・黒川荘三は、事件を永く後世に伝えるため1883年(明治16年)、リチャードソンが亡くなった場所付近に私費を投じて生麦事件碑を建てました。
碑は現在のビール工場の敷地内に残されており、生麦の人々によって毎年追悼祭も行われています。

---------------------------------- 
麒麟麦酒株式会社(通称:キリンビール)は日本の酒造会社です。
明治初期に横浜で設立されたビール醸造所「スプリングバレー・ブルワリー」を始まりとし、同地から生麦に移転した工場が現在のキリンビール横浜工場となっています。

ちなみに、スプリングバレー・ブルワリー跡地は現在は公園になっており、巨大な石碑が建っています。

コロナの影響で長らく休止中だったキリンビール横浜工場の工場見学が再開。

予約は大変でしたがどうにか6人×2日で予約が取れました。

ビールに関する様々な知識を楽しみながら学べるノミモノラボ。

写真入りの缶ビールのカートン作りキットが面白かったニコ

映像でキリンビールの歴史を学び、いよいよ工場見学ツアー開始。

ビール作りの工程を実際の工場設備を通して学びます。

こういうピカピカの機械を見るのも楽しい。

上手く撮影できなかったんだけれども、こちらは麦汁(一番搾りと二番搾り)。

砂糖も入っていないのにさつまいものような甘い味がしてびっくりしました。

缶詰め工程では従業員の皆さんが実際に働いているところも見られました。

昔、僕も工場でバイトをしていたことがあってあんな風に機械のメンテナンス(簡単なやつ)もやってました。

懐かしい。

思ったより小規模な設備だなと思いましたが、生産スピードが早いので大量生産が可能になっています。

工場見学終了後はビールの試飲です生ビール

参加したみんなは總持寺とか生麦事件とかどうでもよくて、まさかビールが目的だったんじゃ…アセアセ

たくさんのビールを飲ませてもらえました。

こういう風に飲み比べると違いがよく分かりますな。

試飲後はお土産コーナーへ。

僕はお酒が苦手な甘党なので、お菓子を買って帰りました。

ビールゼリーチョコが美味しかったですニコ

工場内は緑もたくさんあって綺麗に整備されています。

ちょっとした都市公園みたいな感じニコ

---------------------------------- 

今回はここまで。

梅雨時期の企画で雨が心配でしたが、両日とも雨に降られることなく無事に開催出来てよかった。

暑い時期になり外に出るのも大変ですが、また次回以降の企画もよろしくお願いいたしますニコ

今回の企画は有明にある東京臨海広域防災公園からスタートです。

東京臨海広域防災公園は、平時は都市公園や防災学習施設として使われていますが、大災害が発生すると園内の「そなエリア東京」には災害現地対策本部が設置されます。

オペレーションルームの見学は後回しにして、防災ツアー「東京直下 72h TOUR」に参加しましょう。

「東京直下 72h TOUR」では地震の発生から避難までの72時間を体験し、タブレット端末を使ったクイズに答えながら生き抜く知恵を学びます。

館内には、地震により倒壊した街が再現されていますアセアセ

ツアーが終了するとタブレットに点数が表示されます。

生き抜く知恵が圧倒的に足りない主催者氏は無事入院することになりましたえーん

こちらが、災害現地対策本部が設置されるオペレーションルームです。

この部屋は映画「シンゴジラ」において、ロケ地として使われています。

みんなに見せるのを忘れてしまったゴジラ自販機です。

その他、防災グッズの紹介など。

屋上は小庭園になっています。

天気が良く、風がとても心地よかったですにやり

公園は自由に利用することができ、有料でバーベキューなどもできます。

この辺に住んでいる人(おそらく高給取り)はこんな素敵な場所が身近にあっていいなぁ。

ここが本来の使われ方をすることがないように…と切に願います真顔

----------------------------------

電車でテレコムセンター駅に移動し、すぐ近くにある青海フロンティアビルへ。

20階にある「東京臨海部広報展示室 TOKYOミナトリエ」へ。

展示室に到着すると、早速景色を見たがる参加者さんたち。

ばかやろう、まずは東京湾の埋め立てについての説明からだアセアセ

簡単に説明後、みんなで景色を堪能。

こっちはお台場方面。

反対側、青海埠頭のコンテナやガントリークレーン(赤いキリンみたいなクレーン)。

天気もいいので最高の景色であります。

備え付けの観光望遠鏡(観光地で100円払って見れるやつ)も無料で、肉眼では見えない飛行場も見えました。

皆さん初めての場所だったようで非常に喜んでいるようでしたニコ

----------------------------------

次の訪問地、南極観測船「宗谷」へ。

見学無料ですが、参加者の皆さんには維持費の募金をお願いしました。

ご協力ありがとう!

宗谷は南極近海にてゴジラに遭遇しています(嘘じゃないぞ、本当の話だ)。

精神を集中させると、この船体の記憶が南極ゴジラを再現させてくれるかも…にやり

みんなで船内を探索します。

若い人にはなじみがないと思いますが、宗谷といえばタロとジロです。

昔は、犬ぞり用のカラフト犬たちが南極観測隊に同行して南極に行っていました(現在は南極に動物の持ち込みは禁止)。

ジロは上野の博物館に本物(の剥製)がいるので会いに行ってね。

宗谷に乗り込み、観測隊と共に越冬した猫がいました。

それが三毛猫のたけしで、今回の企画で一番の見どころであります。

ここには書かないけど、参加者の皆さんにはたっぷりとたけしの説明をしてやりましたアセアセ

しかし、宗谷内でのたけしの説明はこれだけです。

あの…もう少したけしを推してもらえんでしょうかねえーん

かっこいい操縦室。

船の見学なんて地味かしらと心配してたけど、こちらも皆さん楽しんでいたようでしたニコ

船の科学館(別館)も見学。

すでにみんな疲れているようだけど、残念ながら次は最後の難関・レインボーブリッジだアセアセ

----------------------------------

レインボーブリッジに着いた辺りから黒雲が出てきて、ちょっと薄暗くなってきました(写真も暗めになっちゃった)。

最初は都心方面が見えるノースルートを歩きます。

ノースルートから都心方面を撮影。

遠くにスカイツリーも見えています。

ブリッジ下の横断路を抜けてサウスルートへ。

横断路付近からは、お台場の名前の由来となった幕末の砲台場の1つ・第三台場が間近に見えます。

第三台場は現在、お台場海浜公園と陸続きとなっており、台場公園として整備されています。

しばらく歩くと見えてくる小島は、同じく幕末の砲台場の1つ・第六台場。

こちらは立入禁止の無人島になっています。

僕のカメラの本気ズームで橋の下を通る船を撮ってみました。

ウォータータクシーなんてあるんだ、今度みんなで乗ってみたいな。

こういう橋の骨組みは実際に橋の上を歩かないと撮れません。

みんなもたくさん写真を撮っていたようでした。

…とはいえ、ずっと歩いていると景色に飽きてしまうのも事実。

みんな疲れてんなぁ、今回もドS企画になっちまったぜガハハイヒ

間もなく対岸、ようやくゴールであります。

最後に橋の真下の写真を撮って終わりです。

皆さんお疲れさまでしたニコ

今回はこれまで。

今回はお台場の若干マイナーなスポットを巡ってみましたが、マイナーだから面白くないということは全然なく、十分に楽しんで頂けたかと思います。

最後のレインボーブリッジは夜行くとまた全然違う景色(夜景)を楽しめるので、また機会があれば歩いてみて下さい。
ご参加ありがとうございました、また次回以降の企画もよろしくお願いしますニコ

①旧乃木邸と乃木神社
今回は乃木坂~外苑を散策します。
開始早々雨が降ってきましたが、みんな耐えてくれショック

乃木坂には、旧乃木邸と乃木神社があります。

旧乃木邸は日露戦争で活躍した乃木大将の邸宅でしたが、この邸宅で大将は悲しい最期を遂げています。

乃木夫妻の殉死を悼み、多くの人々が乃木邸を訪れたことから、1923年(大正12年)に乃木邸近くに乃木神社が建立されました。

当地の説明をして、まずは旧乃木邸へ。

旧乃木邸は、大将がドイツ留学中に見たフランス連隊本部を参考にして自ら設計した木造家屋で、1902年(明治35年)に建てられました。

建物は表玄関側から見ると2階建てに見えますが、実際は3階建てです。

邸内には夫妻愛用の品や調度品が残されており、定期的に一般公開されています。

写真中央の窓のある部屋で大将は自刃しました。

なお、上に貼った夫妻の写真は自刃当日の朝に撮られたものです。

どういう心境で写真を撮ったのだろうかショック

大将は馬を大切にしており、厩舎は主屋より立派な煉瓦造りとなっています。

厩舎には、日露戦争の敵将・ステッセル将軍から贈られた白馬「壽(す)号」などの愛馬がいました。

乃木神社に行く人は多いと思うけど、乃木邸まで見学していく人は明らかに少ないです。

乃木神社にお参りした際は、ぜひ乃木邸まで足を運んで下さいニコ

こちらが乃木神社。

宝物殿には大将の遺品などが展示されているので、こちらも忘れず見学しましょう。

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
②青山霊園
青山霊園は1874年(明治7年)に開設された都立霊園です。
桜の名所としても知られていますが…この日は天気が悪くて花見客は全然いませんでしたアセアセ
しかも今年は桜の開花が早くてすでに花が散り始めでした。
青山霊園には明治以降の著名人の墓所が多数あり、今回はなんと総勢22名+1頭+1匹のお墓を案内しました。
これだけ多くのお墓巡りができる散策サークルは他にはありませんぜ、ダンナにやり
ブログでは特に有名な方のお墓をご紹介します。
 
北里柴三郎は、ペスト菌の発見や破傷風の治療法開発など、感染症医学の発展に貢献した医師、細菌学者です。
その多大な業績から2024年発行の新千円札の肖像画に採用されることになりました。
たくさんのショートショート作品を生み出した星新一先生のお墓。
学生の頃、先生のショートショートはたくさん読みましたニコ
外国人墓地にあるキヨッソーネの墓。
キヨッソーネはあまり有名でないかもしれませんが、日本の紙幣や切手印刷の基礎を築いたすごい人なのです。
あと、西郷さんの顔を合成して作った人でもありますアセアセ
ヤマモモが綺麗に咲いていましたニコ
世界で初めて真珠の養殖を成功させた御木本幸吉のお墓。
真珠だけに戒名は真寿院~となっております。
小説家・志賀直哉のお墓。
以前、遺骨が盗難されたことから木と柵に覆われた厳重なお墓になっています。
遺骨泥棒とかどんだけバチ当たりなことをするんだアセアセ
大久保利通のお墓は、今回紹介するお墓の中で一番の大きさです。
大久保利通は薩摩藩の指導者の一人として活躍し、明治政府でも要職に就いていました。
1878年(明治11年)、馬車で移動中に不満分子により暗殺されました。

隣には、大久保さんの暗殺に巻き込まれ死亡した従者の中村太郎と馬のお墓もあります。

馬さんには名前はなかったのかな真顔

東京帝国大学教授・上野栄三郎の墓所内には、飼い犬だったハチ公のお墓もあります。

日本一有名な犬なので、ここでは見学者もよく見かけます。

この小さな祠がハチ公のお墓です。

こんな小さな祠なのに、花やお供え物が絶えません。

上野の博物館にもハチ公がいるので会いに行ってね。

予想以上にでかくてびっくりしますアセアセ

五・一五事件で殺害された犬養毅首相のお墓。

この周辺には総理大臣含む多くの政治家のお墓があります。
最後のお墓は…おお、乃木大将のお墓。
乃木邸~乃木神社~乃木大将墓所という素晴らしいコース設定、我ながら最高の散策サークルだと思う!
まぁそのわりには過疎ってますけどねアセアセ

右が大将、左が静子夫人のお墓です。

塀越しですが手を合わせてきました。

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

③明治神宮外苑、聖徳(せいとく)記念絵画館

明治神宮外苑は、明治天皇と昭憲皇太后を記念する施設群です。

現在は、芸術文化やスポーツを楽しめる場として一般に開放されています。

外苑入口から聖徳記念絵画館に続くイチョウ並木。
秋にはイチョウの葉で金色の並木道になる有名な通りですな。

歩いている途中には綺麗な桜がありました。

外苑の中心的な建物である聖徳記念絵画館は、1926年(大正15年)に竣工しました(重要文化財)。
館内には明治天皇と昭憲皇太后の生涯の事績を描いた壁画80枚が年代順に展示されており、当時の政治、文化、風俗などを併せて知ることができます。
様々な大理石を使って作られた荘厳なホールも見どころの一つです。

残念ながら撮影禁止なので館内の写真はありません。

美術館って部屋割りがごちゃごちゃしていてどこから見ていいのか分からない場合がありますが、ここは普通に壁に沿って見て行くだけなので鑑賞しやすかったです。

最後は絵画館裏手の葬場殿趾へ。

ここは明治天皇の御轜車(ごじしゃ、棺を乗せた車)が安置された場所で、外苑造営の際にクスノキが植樹されました。

時は流れ、クスノキは見事な大木に成長していますニコ

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

最初から最後まで雨に降られましたが、休憩場所も無事確保してどうにか最後まで散策できました。
途中のコーヒー屋さんもよかったですね、また同企画があれば行ってみたいですコーヒーにやり
参加された皆さん、最後までありがとうございました。
また次回以降の企画もよろしくお願いしますニコ

①洗足池

今回は東急池上線沿いのスポットにお出かけしますニコ

まずは洗足池から。

洗足池は日蓮と勝海舟にゆかりのある場所で、現在は洗足池公園として整備されています。

池を時計回りに一周しながら名所を見てまわりましょう。

当日は暖かく外出日和でした(花粉もすごかったけどえーん)。

スワンボートで遊んでいる人たちもたくさんいます。

風情のあるアーチ橋の向こうにあるのが千束八幡神社です。

千束八幡神社は、八幡信仰の総本社・宇佐神宮から勧進を受けて創建されました。

源氏と関係がある神社で、「源義家が戦勝祈願をした」「源頼朝が池月(馬の名前)を得た」などの伝説が残されています。

近くには立派な池月の像も建っています。

今回はここで記念写真を撮影しました。

弁財天社や水生植物園を通って、東岸の方へ進みます。

家族連れや犬の散歩をする人など、地域住民の憩いの場になっています。

幕末、勝海舟は江戸城明け渡しについて話し合うため、明治政府軍の本陣が置かれていた池上本門寺へ向かいました。

途中、休憩で立ち寄った洗足池の風景を気に入った勝海舟は1891年(明治24年)、池のほとりに茅葺風民家の別邸・洗足軒を建てました。

勝海舟は明治政府軍の西郷隆盛と会談し、江戸城を無血開城。

江戸の街を戦火から救った英雄であります。

勝海舟の死後、墓は本人の遺志により洗足軒裏の台地に建立されました。
のちに妻・民子の墓も移設され、現在は夫婦並んで眠っています。

同じ敷地内にある西郷隆盛留魂詩碑。
西南戦争で亡くなった西郷さんを悼み、自費で建てた石碑です。
江戸城無血開城は二人の相性が良かったからこそ成し遂げられたのかもしれません。

勝海舟の死後、洗足軒は財団法人清明会によって保護されていましたが、戦後に焼失して現在は案内板が残るのみです。

清明会は、1928年(昭和3年)、洗足軒の近くに図書館・清明文庫を開館。
清明文庫は現在、大田区の管理になっており、2019年(令和元年)に勝海舟の業績を伝える勝海舟記念館としてリニューアルオープンしました。

勝海舟の一生や業績が学べるほか、洗足軒や清明文庫のジオラマなども置かれています。

江戸時代から洗足池は風光明媚な場所として知られていました。

広重の浮世絵にも描かれており、右には日蓮が足を洗う時に袈裟を掛けたという松が大きく描かれています。

日蓮の袈裟懸松(の3代目)は妙福寺境内に残されています。

松の写真を撮りたかったけど、ちょっと撮影しにくかったのでなしであせる

洗足池は季節の花や野鳥の観察もでき、また歴史も学べる素晴らしい観光スポットです。

サークルでもまた時期を変えて訪問してみたいですニコ

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 

②昭和のくらし博物館

追加スポットの昭和のくらし博物館。。

元々は1951年(昭和26年)に建てられた一般住宅で、館長の小泉和子さん一家が住んでいた家でした。

1999年(平成11年)、昭和の暮らしを後世に伝えることを目的とした博物館に改装され、昭和のくらし博物館として開館。
昭和レトロ感ただよう家屋は文化財に指定されており、館内では小泉家の生活風景がそのまま展示物になっています。

撮影禁止だったので写真はありませんが、ガイドの方の案内で見学させてもらいました。

「この世界の片隅に」という映画のモデルとしても使われたそうです。

映画を見ていた方もいたので、より楽しめたかと思いますにやり

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -  

③池上本門寺

池上駅で降りて、ちょっと疲れたので甘味処・池田屋さんで休憩。

黒蜜かけ放題なので、しこたまかけてしまったぜガハハにやり

甘いものを食べて池上本門寺へ。

本企画は洗足池+池上本門寺のみだったので、物足りなさを感じた人もいたかも…でも、池上本門寺って浅草寺より広くて見どころがいっぱいのお寺なのです。

江戸時代から残る総門を通って境内へ。

奥に見えるのは加藤清正が寄進した96段の此経難持坂。


日蓮は鎌倉時代の僧で、日蓮宗の宗祖です。
1282年、病を患った日蓮は常陸国の温泉に湯治に向かいますが、その途中、武蔵国池上の郷主・池上宗仲の館で亡くなり、遺体もそこで奈毘に付されました。
日蓮の死後、池上宗仲の寄進した広大な土地に建立されたのが池上本門寺です。

大坊本行寺は日蓮が最期を迎えた池上邸跡に建つ寺院です。

日蓮が滞在中に寄りかかっていた「お寄り掛りの柱」にも触れますアセアセ

裏庭の見学もできます。

観光客だらけでやかましい浅草寺より静かな池上本門寺の方が僕は好きです。

日蓮の荼毘所跡に建つ多宝塔は、1831年建立の重要文化財です。

境内には有名人の墓もあります。

江戸時代の御用絵師・狩野探幽のお墓は、ひょうたん型のお墓です。

多宝塔の裏手にある紀州徳川家墓所。

池上本門寺は日蓮宗の熱心な信者だった加藤清正とも関係が深く、下のお墓は清正の娘・瑶林院のお墓です。

お釈迦様を祀る本殿。

仁王像のモデルは20代の頃の猪木だそうですにやり

加藤清正供養塔は清正の娘・瑤林院が寄進したものです。

この供養塔の存在は今回初めて知りました、僕もまだまだ勉強が足りませんzzz

奥の立派な五重塔は江戸時代から残る重要文化財です(江戸四搭の一つ)。
手前にあるお墓は「五重塔」を書いた小説家・幸田露伴のお墓。

五重塔繋がりのツーショットで写真を撮ってみましたカメラ

戦後にプロレスブームを巻き起こした力道山のお墓。

説明したかったのに、変態説明男(お墓の前に陣取って来る人来る人に勝手に説明をするキチ〇イ)がいてあんまり説明できんかった。

観光地にはこの手の輩がたまに出没するので、捕まらないように気をつけましょうえー?

今回はここまで。

追加訪問地も含めたくさん見学して大変だったと思いますが、大田区の名所となるとなかなか来ることもないと思うのでいい思い出になったんじゃないかな。

寒さもやわらぎ、これからは歩きやすい季節になっていくので、またのご参加をお願いいたしますニコ