こんにちは、週末お出かけサークル主催者ですニコ
今回は浜松町~芝~麻布十番を散策してきました。

当日の様子を写真でどうぞ。

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①旧芝離宮恩賜庭園

最初の訪問地・旧芝離宮恩賜庭園は、17世紀の大名庭園を起源とします。

明治時代は皇室の離宮として使われ園内には洋館も建設されましたが、1923年(大正12年)の関東大震災で被災。

現在は洋館の礎石のみが一部残されています。

浜松町駅のそばにあった世界貿易センタービルがいつの間にか消えていました。

東京に来て十数年の新参者ですが、時の流れを感じます。

園内はとても綺麗に整備されています。

西湖の堤を通って中島へ。

園内にある大山山頂から。

まだまだ残暑は厳しかったですが、風があって心地よかったです。

池の向こうはかつては海でしたが、現在は竹芝地区になっています。

周辺はすっかりビル街になってしまいましたが、そのギャップも楽しみながらのんびりと散策してきました。

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②増上寺

芝公園方面へ歩きながら、途中の名所をご紹介。

途中にある芝大神宮境内では、江戸時代にめ組(火消し)とお相撲さんが乱闘を繰り広げました。

地名にもなっている大門は、増上寺の旧総門です。

かつてはこの門から向こうが増上寺の寺領で、今もいくつか小さなお寺が残っています。

巨大な門が見えてきました。

三解脱門は1622年に建立された増上寺の中門で、重要文化財にも指定されています。

16世紀末、江戸に入府した徳川家康は増上寺を菩提寺と定めたことから境内には将軍家の人々の霊廟が数多く作られ、また関東の檀林の筆頭として大いに発展しました。

しかし、明治以降は次第に縮小し、さらに戦時中の空襲で徳川家霊廟や多くの堂宇を焼失。
現在は復興をとげ、東京タワー間近の大寺院として多くの人が参拝に訪れています。

千躰子育地蔵菩薩は、子や孫の無事な成長を祝って建てられた小さなお地蔵さんたちです。

将軍家の霊廟群も空襲で焼失してしまいましたが、のちに一ヶ所にまとめて改葬。

現在は徳川将軍家墓所として一般公開されています。

増上寺の墓所には6名の徳川将軍が眠っていますが、僕の一番推しは彼ら将軍ではなく、14代将軍家茂の正室・和宮です。

他の将軍の説明は適当でしたが、和宮のみしっかりと説明してきました。

寺を出て芝公園へ。

途中には旧台徳院霊廟惣門が建っていますが、かつてこの先にあった壮麗な霊廟は残っていません。

関東大震災と東京大空襲は本当に江戸東京の建物キラーだわ、許さんからな。

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③麻布十番

電車に乗って麻布十番へ。

以前見つけた野菜を使った菓子のお店・その名もズバリ「野菜菓子」さんへ。

写真を撮り忘れたのでHPから写真をお借りしましたが、さすが美味しそうに写真が撮れてますな。

善福寺は、弘法大師(空海)が平安時代の824年に開山した真言宗の古刹で、鎌倉時代に訪問してきた親鸞の影響で浄土真宗に改宗しています。

幕末には初代アメリカ公使館も置かれて駐日大使のハリスが在留していたこともあります。

境内にはハリスの顕彰碑も。

銀杏の実がたわわに実っています。

銀杏へ、臭くなるので落ちてこないでください。

墓地(撮影不可)には、ドラゴンクエストシリーズの作曲家として有名なすぎやまこういち先生のお墓があります。

僕の一番好きな曲はDQ2やダイの大冒険のED「この道わが旅」です。

SFC版DQ3のゾーマ戦の「勇者の挑戦」も名曲。

光の玉を使ってから流れはじめるという演出も最高なんだよなぁ。

久しぶりのお墓参りだったので、事前にDQ3をプレイして名曲を堪能してきました。

おっと、またマニアックな話をしてしまった…。

さて、散策の続きですが、麻布十番は童謡「赤い靴」のモデルとなったきみちゃんの悲しい物語が残る街でもあります。

商店街の広場にはきみちゃんの像も建っています。

散策の最後はお待ちかねの食べ歩き。

「東京3大たい焼き」の一つに数えられるたい焼きの名店・浪花屋総本店。

ちょっと色々あって買うのが大変だったzzz

たい焼きは1匹ずつ焼く天然物です。
焼きたてなので皮もパリパリで非常に美味しかった!
みんなの分も無事買えたのでよかったよかったイヒ
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今回はここまで。
後半になるとみんな疲れてて行き倒れにでもなりそうだったけど、最後にコロッケとたい焼きで回復して無事家に帰れたかと思います。
皆さん最後までお付き合いいただきありがとうございました、次回以降の企画もよろしくお願いしますニコ

こんにちは、週末お出かけサークル主催者ですニコ
今回は訪問した両国は普段はわりと静かなエリアですが、大相撲秋場所の時期と重なったので観光地らしい賑やかな雰囲気に。
相撲のイメージが強い両国ですが、周辺にはたくさんの歴史観光スポットがあるので皆さんで巡ってきました。
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①横網町公園
関東大震災の発生後、陸軍被服廠跡と呼ばれる更地だった当地にはたくさんの避難民が集まっていました。
そこを周囲から発生した火災旋風が襲い、ここだけでなんと3万8千人もの人々が命を落としました。
下の赤枠が陸軍被服廠跡で、東京府の死者の半数以上がこのエリアで亡くなっています。

1930年(昭和5年)、当地に納骨堂と慰霊堂が完成し、横網町公園として開園。
戦後は戦災犠牲者も合祀して、現在は震災と戦災のメモリアルパークとなっています。

最初に1931年(昭和6年)に開館した東京都復興記念館を見学。

こちらは震災と戦災の資料展示室になっており、特に横網町公園で起こった悲劇に関する資料が充実しています。

館外には焼けてしまった金属類の展示品も。
地震も怖いですが、それによって引き起こされる火災の威力も凄まじい。

東京都慰霊堂へ。
かつては悲しい出来事の起こった場所ですが、訪問日は防災イベントが行われていて賑やかな雰囲気でした。
堂内の絵画や写真を見学後、みんなで祭壇に手を合わせてきました。

記念館、慰霊堂とも設計は建築家の伊東忠太です。
彼の建築物にはだいたい不思議な動物が配置されており、園内パンフレットではゆるキャラ的に描かれています。
慰霊堂のレイレイや…

記念堂のライオーなど。

個人的には記念堂の屋根の隅にいるちっこい狛犬みたいなやつが好きです。

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横網町公園の隣にある旧安田庭園は、江戸時代の大名庭園を起源とする回遊庭園です。

かつては隅田川の水を池に引き入れて潮入り(川の干満に合わせて池の水位が上下する)が行われていましたが、現在は人工的に潮入りが行われています。

この規模の庭園は整備が中途半端なことも多いですが、ここは綺麗に整備されていてしかも無料です。
残暑厳しい中の散策だったので、あずまやでたっぷり休憩もとりました。

両国駅方面へ移動します。
秋場所開催中の両国国技館前はお相撲さんののぼり旗が色とりどりにはためいていました。

-両国-江戸NORENは、JR両国駅に隣接する観光スポット。 

中には飲食店や土産物店があり、中央には土俵も設置されています。

江戸NORENを出て、主催者おすすめのお店・國技堂へ。

いつの間にか2階がサブレ工場になっていたらしく、店内に入ると甘い匂いが漂いまくりますえーん
美味しそうな匂いをかがされて買わずにはおれませんな、僕は土俵サブレとあんこあられを買いました。

江戸時代からの歴史を持つ隅田川花火大会ですが、当時、両国には多くの花火師たちが住んでいたといわれています。
両国花火資料館では、古い歴史を持つ両国花火の紹介や花火玉や打ち上げ筒、花火技術の展示を行っています。

ちょっとしたミニ資料館といった感じです。

回向院は江戸の大火事・明暦の大火の死者を葬った「万人塚」を始まりとする寺院です。
「全ての生あるものを供養する」という理念から災害による死者や刑死者、さらには様々な動物たちまで幅広く供養しています。

境内には、明暦の大火や大地震、水難事故の慰霊碑など古い石碑がたくさん残っています。

江戸時代の大泥棒・鼠小僧のお墓。
武家だけを狙うという反権力的な盗みが鼠小僧=義賊という創作話を生み出し、泥棒ながらも庶民から人気がありました。
ちなみにお隣には鼠のライバル・猫を祀った塚もあります。

あ、こっちにも猫塚があったイヒ

珍しいものとしては膃肭臍(おっとせい)の供養碑も。

説明版がないので詳細が全く分からないな、こういうのって檀家になったら教えてもらえるのかな。

回向院境内で勧進相撲が行われていたことから、1909年(明治42年)、境内に旧両国国技館が建設されました。
現在は解体済みですが、下の写真ですと、回向院の左にあるビル付近に旧両国国技館はありました。

ビルの敷地内にはかつての土俵跡が銀のラインで示されています。
これ自体に歴史的価値はないので、地域住民の駐輪場と化しておりますzzz
 
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江戸時代に起こった赤穂事件の最も有名な場面といえば、赤穂四十七士による吉良邸討ち入りの場面です。

この場面の舞台となった本所吉良邸は両国にありました。

吉良邸は現存しませんが、当時から残るという吉良の首洗い井戸を中心に一部が本所松坂町公園として整備されています。
吉良邸の格式の高さを偲ばせるなまこ壁で囲まれた空間はコンパクトながらも多くの歴史ファンが訪れる史跡となっています。

赤穂事件を作品化したものが忠臣蔵で、下のBOSSのCMではタモリが吉良を演じています。

30秒のCMですが、けっこうよくできていますな。

作品化された忠臣蔵では吉良はことさら悪役として描かれるというかなり損な役回りを押し付けられています。

園内にはそんなちょっと可哀そうな吉良さんの像も置いてあります。

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駅に戻りつつ、残りの名所を巡っていきます。

江戸無血開城を実現し、江戸の街を戦火から救った幕臣・勝海舟は現在の両国公園付近で生まれました。

生誕の地は勝海舟生誕の地としてちょっとした歴史スポットになっています。

両国は文豪・芥川龍之介が生後~青年期まで生活した場所でもあることから、彼が通った両国小学校の角には文学碑が建てられています。

 
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震災被害や相撲、赤穂事件など歴史解説が多めで参加者の皆さんは解説を聞くのが大変だったかもしれないですが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
また次回以降の企画もよろしくお願いいたしますニコ

東電OL殺人事件は、1997年、東電に勤務するエリート会社員の女性が神泉駅近くのアパートで遺体となって発見された事件です(未解決事件)。
この女性はエリート会社員であったにも関わらず、夜は娼婦となって渋谷で立ちんぼをしていたことが分かっており、その驚きの内容からセンセーショナルに報道されて世間の注目を集めました。
詳細はYouTubeにいくらでも転がっているのでそちらをご覧ください。

現場となったアパートは現在も残っています(まん福亭が入っているアパート)。
怪談はたくさん聞いていますがここに何か出たという話は聞いたことがなく、遺体発見現場となった部屋も普通に使われているようだ。

駅から渋谷方面に少し歩くとラブホ街が見えてきます。
その手前の道路の角にお地蔵さんが立っており、かつて女性はここで立ちんぼをしていたという。
なお、その手のお仕事の女性を蔑むつもりは一切ありません、男性なら少なからずお世話になった人も多いだろうし。

このお地蔵さんは江戸時代から残る火伏地蔵なんだけれど「女性を供養するために唇が赤く塗られているらしい」という情報をネットでよく見かけます。

顔を見ると、確かに唇が赤い。
事件後、女性に共感した人たち(同業女性?)がお地蔵さんにお参りして唇を赤く塗ったらしいけど、女性のために新しく建てられた地蔵ならともかく、江戸時代の火伏地蔵を勝手に供養に使うなよと思ってしまった。

ていうか、お地蔵さんの説明文に「お化粧してあります」とあるので、女性とは関係ないのでは?

お地蔵さんを管理している人にとっても勝手に女性の供養地蔵にされちゃ迷惑だろうし(勝手に紅を差す行為は壁の落書きと同じ器物損壊)、女性の遺族もそんなことは望んでないだろう。
「女性を供養するために唇が赤く塗られている」という情報についてはデマじゃないかと思います。
現場へ行ってみて自分の中の疑念は晴れたけれど、事件自体は解決しそうにないからもやもやが残りますが。


終わり。

こんにちは、週末お出かけサークル主催者ですニコ
今回は丸の内から有楽町にかけて散策をしてきました。

この辺はビジネス街のイメージが強く、渋谷や新宿に比べると人も少なくて落ち着いて散策できますが、歴史や名所を知らないとちょっと地味な場所に見えてしまうかも。

今回はそんな丸の内の歴史を紹介しつつ、名所をいくつかめぐってきました。

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①丸の内と東京駅

最初の訪問地・東京駅。

1914年(大正3年)に竣工した東京駅は、戦時中の焼失を経て、現在は竣工当時の姿を取り戻しています。

人出も戻り、たくさんの観光客の方が写真を撮っていました。

東京の人はたまには撮れよzzz

駅の出入口の中でもドーム屋根下にあたる丸の内北口と南口にはたくさんの見どころがあります。

ここに詳細は書きませんが、参加者の皆さんには歴史や見どころをたっぷり紹介させていただきました。

天井には素敵なオブジェがたくさんありますが、遠いから見えにくいんだよね。

せっかくのオブジェがもったいない。

乗降客なら誰でも利用する券売機の横にもこういう歴史スポットがあります。

ほとんどの人がスルーしていくのでちょっと寂しい。

以前参加者の方から「歴史には興味ないです」と言われたことがいまだにトラウマなんだけど、まぁそう難しく考えずに楽しい雑学と思ってもらえたら嬉しいです。

少なくとも今回の参加者の皆さんには好評だったようなのでよかったニコ

面白味のなさそうな丸の内のビル群にも歴史や景観に配慮した建築ルールが存在しています。

そういうのを理解した上で街歩きをすると、味気のない丸の内のビル群散策も楽しくなります。

こちらは皇居のお堀沿いを歩いた時の写真ですが、写真中央の明治生命館が次の目的地です。

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②明治生命館

明治生命館は1934年(昭和9年)竣工の建物で、重要文化財でありながら現在でも明治安田生命のお客様相談センターとして使われており、営業時間後や休日は建物内を見学することができます。

受付をすませ、館内へ。
荘厳な建物内には、吹き抜けの大空間、大理石の回廊、凝った意匠の彫刻など贅沢でエレガントな空間が広がり、昭和初期に建てられたオフィスビルの最高峰と言われています。
戦後はGHQに接収されて会議が開かれたことも。
一見同じような部屋でも、内装や調度品を変えることで各部屋の雰囲気に変化を生み出しています。

ヨーロッパの王宮のような館内ですが、前述の通りお客様相談センターとして普通に使われています。

奥に見える事務フロア付近だけ突然現実世界になっており、なんとも不思議な光景になっています。

参加者の皆さんは初訪問だったそうで、美しい館内に感動していたようでした。

僕も久しぶりに来ましたが、こんな素晴らしい場所が無料で見学できるとかほんと意味が分からんですアセアセ

明治生命館の近くにはかつての一丁倫敦の建物の一つ・三菱一号館を再現した三菱一号館美術館がありますが、残念ながら工事中でした。
工事のために訪問予定地に行けないことは今後もあると思うので、その時は許してね。

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③東京国際フォーラム、相田みつを美術館

東京国際フォーラムが見えてきました。

東京国際フォーラムはいくつかのホールと、このガラス棟で構成されています。

ホールはともかく、このガラス棟は本当に意味がないというか無駄に豪華なものを作ったなぁという感じがします。

まぁこのガラス棟ができた当時はバブルの頃なので、うなるほどお金があったのでしょう。

東京国際フォーラムの場所には明治時代は府庁舎が、平成初期まで都庁舎が建っていました。

入口には府庁舎時代の石碑が残っています。

東京国際フォーラムの中に建つ太田道灌の像。

太田道灌は初代江戸城を建てた室町時代の武将で、この像は昭和の都庁時代からこの地のシンボルでした。

上階からの景色も気になりますが、先に相田みつを美術館へ行きましょう。

相田みつをは栃木県足利市出身で、心に響くメッセージ性のある言葉を数多く書き残した詩人、書家です。

わざわざ説明しなくとも誰でも知っている有名な方ですね。

館内は、みつをが毎日散策した八幡山古墳群をイメージした静かで落ち着いた空間となっています。

少人数だったのでみんな一緒に移動し、詩についてあれやこれや語りながらの鑑賞となりました。

2号館まであってかなりボリューミーな美術館となっております。

美術館を出て東京国際フォーラムの上階へ。

さっき東京国際フォーラムの悪口を言ったけど、景色を見る分には全然嫌いじゃないです。

ただ、ガラス拭きは大変そうアセアセ

窓の向こうに見えるのが今回の最後の訪問地・東京交通会館ですが、行く前にちょっと寄り道をしていきましょう
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④有楽町駅周辺~東京交通会館

東京国際フォーラムを出て日比谷駅方面へ。

この辺りは東宝関係の建物が多く、一角にはシンゴジラの像が建っています。

有楽町駅方面へ。

駅の近くには昭和の歌手・フランク永井の「有楽町であいましょう」石碑があります。

珍しく主催者氏が歌を披露する一幕もイヒ

有楽町駅中央口付近にはかつて南町奉行所がありました。

南町奉行所は大岡越前や中村主水が働いていた奉行所です。

時代劇ファンにとってはなじみ深い場所であります。


東京交通会館は有楽町駅前にある複合商業施設で、全国各地のアンテナショップなども出店しています。

僕や参加者さんおすすめのアンテナショップで、お土産のお菓子を買って楽しく過ごしました。

暑い中歩いてきたのでソフトクリームがとてもおいしかった!

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今回はここまで。

予定より早く終わる予定でしたが予想以上に充実した内容だったせいか、結局当初の予定の17時までみっちり散策しました。

途中のアンテナショップでお菓子を買ったりとちょっとしたショッピング要素もあり、楽しい散策になったかと思います。

参加された皆さん、暑い中、最後までお付き合いいただきありがとうございました。

また次回以降の企画もよろしくお願いいたしますニコ