今回は江戸川区にある船堀から出発ですが、その前に荒川の歴史について。
荒川は奥秩父から流れてくる全長173kmの河川ですが、度々氾濫を起こし、江戸(東京)に大きな被害を与えていました。
明治政府は荒川の流路を変える放水路の建設に着手し、1924年(大正13年)、全長22kmの人工河川・荒川放水路を開削。
のちに荒川放水路が正式な荒川となり、かつての荒川は隅田川と呼ばれるようになりました。
荒川放水路によって中川は分断されて、現在は中川と旧中川に分かれています。
散策の前半は、これら河川沿いの名所を歩きます。
タワーホール船堀は江戸川区によって管理されている複合文化施設で、館内にはホールや会議室、映画館、展望台、各種商業施設などが入っています。
展望台は無料で開放されているので、早速登ってみましょう。
展望台(103m)からは360度の素晴らしい景色が楽しめます。
天気もいいし最高の景色ですなぁ(一部下見の時に撮影した写真を使用)。
展望台は広くなく、簡単に一周できます。
都心方向を見ると荒川と中川が並んで流れているのがよく分かります。
荒川沿いを拡大すると凱旋門のような建物が見えます。
これが後から訪ねる荒川ロックゲートです。
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電車で川向こうの東大島駅に向かい、荒川沿いを歩きます。
天気が良いので、散歩やジョギングをする人がたくさんいました。
荒川ロックゲートは、荒川と旧中川を結ぶ閘門(こうもん=ロックゲート)で、水面差が2~3mもある荒川と旧中川間で船を通行させるための施設です。
荒川側にある前扉室は屋上部分に登ることができます。
登れる水門ってけっこう珍しいかも。
屋上からの景色。
ビルの5~6階くらいの高さがあり、階段の昇り降りも少し大変です。
荒川の向こうには先ほど登ったタワーホール船堀も見えます。
近くにある大島小松川公園にはかつて小松川閘門という閘門がありました。
水運の衰退に伴い小松川閘門も閉鎖され、現在は扉の1つが土中に半分以上埋没する形で残されています。
公園には奇妙なオブジェもあります。
こちらは謎多きムー大陸からの来訪者らしい…あまりに謎すぎたので今回はここで集合写真を撮っちまったぜ
戦国時代末、秀吉の命で江戸に入府した徳川家康によって開削された全長5kmの運河が小名木川です。
小名木川は元々は千葉県行徳から塩を運ぶ運河として開削されましたが、その後は様々な物や人を運ぶ重要な物流航路として利用されました。
亀戸天神社は学問の神様・菅原道真を祀る神社で、道真由来の梅まつり、江戸時代から有名だった藤まつりなど花の神社としても知られています。
夏場は境内の緑がたくさんでかなりのジャングル感がありました。
次回こちらに行く時は、花の時期を狙って行きましょうかね。
亀戸香取神社へ。
亀戸香取神社は、665年に藤原鎌足(中臣鎌足)が東国下向の際に当地を訪ね、太刀一振を納めて旅の安全を祈願したことが起源とされています。
現在は「スポーツ振興の神」としても知られており、参道には有名スポーツ選手の灯籠がずらりと並んでいるのですが…訪問日はちょうど片付けられており全然ありませんでした
江戸の終わりから昭和初期まで、亀戸香取神社周辺では亀戸大根という小ぶりの大根が作られていました。
毎年3月には亀戸大根を無料で振る舞う「福分けまつり」というお祭りも開催されているらしい…どんな味なのかな、食べてみたい
江戸時代、亀戸には呉服商・伊勢屋彦右衛門の別荘「清香庵(せいきょうあん)」があり、その庭の梅園は「亀戸梅屋敷」と呼ばれる江戸の名所でした。
亀戸梅屋敷は現存していませんが、亀戸の新たな観光スポット(観光案内所、名産品販売所)がその名を引き継いで亀戸の情報発信を行っています。
亀戸梅屋敷には亀や大根、梅にちなんだ地元のお菓子がたくさん売っています。
観光地にお金を落とすのは大切なことなので、僕もたくさんのお菓子を買いました(ただのお菓子好きだろ)。
梅屋敷でお土産を買ったり、ソフトクリームを食べたりして本日は終了です。
亀戸には他にも梅の名所があるので、また別の機会に訪問してみたいです。
今回はちょっと長めのバス移動もありましたが、スムーズに開催出来てよかったです。
参加された皆さんありがとうございました、また次回以降の企画もよろしくお願いします