今回はトキワ荘を中心とした散策です。
以前からコース候補には挙がりながらも、いまいち見どころに欠けるので不採用になっていたんですよね…。
しかし、待ちに待った「トキワ荘マンガミュージアム」が開館したのでついに企画として採用になりました。
今回もしっかりと資料を作ってきたので、みんなでトキワ荘に遊びに行きましょう
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
①祥雲寺
1532年、小田原北条氏の重臣・遠山景久(かげひさ)は現在の皇居付近に曹洞宗の寺院・浄光院を創建。
これがのちに祥雲寺となり、大正時代に現在地に移転しました。
墓地内には江戸時代の処刑人・山田浅右衛門のお墓や、漫画家・石ノ森章太郎のお墓があります。
山田浅右衛門は、江戸時代に「御様御用(おためしごよう)」を務めていた山田家の当主が代々名乗った名前です。
「御様御用」とは刀の試し斬りをする役人のことで、江戸時代には罪人の死体で試し斬りが行われていました。
山田浅右衛門は、試し斬り以外に罪人の首切り役にもあたりました。
いくら罪人とはいえ、死体を試し斬りで切り刻むとは…
現代では全く理解できない残虐な仕事ですが、山田家では死者の供養も行っていたそうです。
山田家は9代目まで続きましたが、1882年(明治15年)、斬首刑の廃止によりその役目を終えました。
石ノ森章太郎先生のお墓に行く前に、先生の代表作の一つ「仮面ライダー」 の第84話から。
海岸を歩いていた釣り人が何者かと遭遇します。
ゲルショッカーの怪人・イソギンジャガーであります。
釣り人に危機が迫ります。
逃げ出した釣り人はイソギンジャガーの毒水を浴びて溶かされてしまいました
実はこの釣り人は石ノ森章太郎先生です。
原作者が殺され役でゲスト出演する名(迷?)場面なので、フィギュアにもなっています(私物)。
石ノ森章太郎先生はトキワ荘に住んでいた漫画家の一人で、昭和30~40年代には様々なジャンルの漫画を描き、「漫画の王様」「漫画の帝王」と呼ばれていたそうです。
僕はアニメや実写映像化された作品になじみが深いかな(「仮面ライダーシリーズ」「サイボーグ009」「秘密戦隊ゴレンジャー」「HOTEL」など)。
1998年(平成10年)、心不全のため60歳で死去し、現在は祥雲寺の墓地に眠っています。
「仮面ライダー」は物心ついた時から大好きな作品なので、初訪問の時は本当に感激したものです。
お墓の横の石碑には作品のキャラクターが描かれています。
僕が知らないキャラクターもたくさん!
本当に多くの作品を描いていたんだなぁ。
みんなで見学させてもらって、手を合わせてきました。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
②金剛院
金剛院は1522年に創建された真言宗の寺院で、18世紀に将軍家から許可をもらい建立した朱塗りの門が現存しています。
赤門横にはお寺カフェ「赤門テラス なゆた」も併設しており、地域住民の憩いの場になっています。
境内には木の化石や鉄道の枕木など、ちょこちょこと変わったものも設置されています。
自由時間を作ってみんなに見学してもらいました。
四国八十八ヶ所お砂踏み参拝所。
修行中の弘法大師(空海)像が建っており、時計回りにお参りすることで八十八ヶ所巡りと同じご利益を得ることができます。
参拝所の途中にはマンガ地蔵と青い狸が鎮座しています。
マンガ地蔵は随所に漫画的なデザインがちりばめられた珍しいお地蔵さんですが、日差しのせいで全然見えないな。
日傘で影を作って撮影。
トキワ荘があった街・椎名町を「漫画の原点のまち」として伝え、人々の想像の縁を結ぶお地蔵さんです。
衣の柄を拡大して見やすくしてみました。
左手にいるのはスライムかな
長崎不動尊のナータくん。
見どころが多いお寺さんですな、駅のすぐそばでアクセスもしやすいです
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
③長崎神社
金剛院のお隣にある鎮守社。
駅から徒歩1分なのに、この鬱蒼とした鎮守感!
蚊が多くて、僕の現場説明中にも被害者が出ました
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
④????
椎名町駅です。
「椎名町」という名前が入っていますが、駅周辺に「椎名町」という町名は存在しません。
「椎名町」は現在の椎名町駅の南側のエリアにかつて存在していました。
しかし、とある事件をきっかけに「椎名町」という町名が忌避され、「南長崎」に改名されてしまったのです。
その原因となった出来事とは-「帝銀事件」であります。
1948年(昭和23年)、帝国銀行椎名町支店にて発生した銀行強盗事件(毒殺により12名死亡)が「帝銀事件」です。
ここには詳細は書きませんが、事件現場となった銀行は長崎神社のすぐそばでした。
かつて日本を震撼させた大量毒殺事件のあった現場ですが、今ではその痕跡は何もありません。
椎名町駅にある観光看板には「椎名町」と普通に書いてあります。
事件が起こったことは残念だけど、町名が悪いわけじゃないし無理に改名しなくてもよかったのでは…と思います
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
⑤南長崎公園
南長崎(椎名町)にはあちこちに「マンガの聖地としま」のモニュメントが建っています。
南長崎公園に着くとみんなから「小池さんだ!」の声が。
有名な小池さんですが、彼はトキワ荘に入居していた漫画家の一人・鈴木伸一をモデルにして生まれたキャラクターで、下の看板は自画像看板です。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
⑥南長崎花咲公園(トキワ荘公園)、トキワ荘マンガミュージアム
1952年(昭和27年)、椎名町に建てられた木造2階建アパートがトキワ荘です。
翌年、手塚治虫が入居したことをきっかけに多くの若手漫画家たちが入居するようになり、「マンガ荘」「マンガ家の梁山泊」として有名になりました。
漫画家たちが退出した後も見学者が多く訪れる聖地となっていましたが、老朽化により1982年(昭和57年)に解体されました。
南長崎花咲公園(トキワ荘公園)には記念碑「トキワ荘のヒーローたち」や、トキワ荘の説明看板が置かれています。
当時の写真なんかも展示されています。
ここでたっぷりトキワ荘のことを予習しておきましょう。
数年前まではトキワ荘の残り香を訪ね歩くだけで、少し地味だった椎名町散策。
しかし2020年、トキワ荘を再現した「トキワ荘マンガミュージアム」が完成し、楽しさが大幅アップ!
今回コースに選ばれたのも、トキワ荘マンガミュージアムがあってこそでした。
ただ、トキワ荘の漫画家さんたちは昭和30年~40年代に活躍した方々が多く、そこそこおっさんの僕でもなじみが薄いです。
参加者さんの中には若い方もいるので、楽しんでもらえるだろうかと正直心配していました。
が、いざみんなで入ってみると、皆さんとても楽しんでもらえているようでした
ミュージアム自体の出来も非常にいいし、素晴らしい観光スポットだと思います。
館内ですが、2階が当時の間取りを再現したフロア、1階は資料展示室などです。
一部は写真撮影も可能となっています。
入館記念でもらえる缶バッジ。
全7種あるのに、5人中4人が下のバッジだったのでびっくり!
まぁこれもいい思い出だし、みんなでバッジの写真を撮ればよかったね。
訪問日は企画展「トキワ荘の少女マンガ」も観賞。
トキワ荘の漫画家さんたち=少年漫画のイメージでしたが、少女漫画もたくさん描いてて驚きました。
トキワ荘のツイッターにて、訪問日(9/19)に来場者が5万人を突破して記念品が出たらしい。
僕らは何人目だったのかなぁ、惜しかったぜ
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
⑦南長崎通り・トキワ荘ゆかりの地
実際のトキワ荘はマンガミュージアムから少し離れている場所にありました。
この跡地にもトキワ荘モニュメントが建っています。
し、しまった…子育て地蔵尊に行くの忘れちゃった
トキワ荘跡地の近くにある歴史あるお地蔵さんで、トキワ荘関連の漫画にも登場します。
昔の米屋さんを改築して作られた「トキワ荘お休み処」。
トキワ荘グッズを買うならミュージアムよりこっちの方が充実しています。
トキワ荘の漫画家たちが飲んだ焼酎のサイダー割り「チューダー」をイメージした「チューダーあめ」が名物です(写真撮り忘れた…)。
2階はちょっとした展示スペースになっているので、ミュージアムと一緒にこちらも訪問しましょう。
その他、通り沿いにあるトキワ荘ゆかりの地を巡って南長崎を後にしました。
みんなに楽しんでもらえて本当によかった。
今回行っていない場所もたくさんあるので、また今度行ってみて下さい
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
⑧佐伯祐三アトリエ記念館
新宿の下落合にある「佐伯祐三アトリエ記念館」に着きました。
佐伯祐三は大正、昭和初期の洋画家で、1921年(大正10年)に建てたアトリエ付きの家が一部現存し、「佐伯祐三アトリエ記念館」として一般公開されています。
西日が強く全然いい写真が撮れなかった(今回は全体的に写真が下手だなぁ)。
佐伯祐三は学生結婚して、翌年、この家を建てました。
学生の分際でどーして家が建てられたか、それは逆玉に乗ったからです。
なんか、逆玉にはあまり共感できないのでここは適当でいいや
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
⑨中村彝アトリエ記念館
「「彝」ってなんて読むの?」とお思いのあなた、記念館への道に書いてありました。
中村彝は大正の洋画家です。
1916年(大正5年)に下落合に建てたアトリエを建築当初の姿に復元したものが現在の「中村彝アトリエ記念館」で、代表作のパネル展示やアトリエの再現などが行われています。
中村彝さんは若い頃、新宿中村屋の主人・相馬愛蔵の厚意で中村屋の裏のアトリエに住んでいたことがあり、その時に相馬の娘に求婚し、無事爆死しています。
以後、この失恋を引きずったまま過ごし、最後は持病の結核が原因で37歳の若さで亡くなりました。
ここには貼らないけど、死期を悟った頃の自画像は非常に痛ましく、心が締め付けられるようでした。
逆玉には全然共感しないのに中村彝さんにはものすごく共感できます。
中村彝さんのお墓は水戸にあるそうなので、いつかお墓参りに行ってみたいです。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
![ニコ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/051.png)
仮面ライダーのコレクション(全て私物)。
幼児の頃から未だに好きだからなぁ、石ノ森章太郎先生への思い入れはかなりのもんです。
年齢的に昭和が好きだけど、最近のもたまに見てます。
あと30体くらいフィギュアがあったけど、並べるのが大変なのでやめた