ブログ作成が遅くなり申し訳ありません。
「ブログ書かなきゃ」と思いつつも、コロナで先も見えずサークル活動に対する意欲もちょっと下がり気味になっておりました。
皇居の企画から三ヶ月も経ってしまったか…秋の思い出に浸りつつブログを書いてみたいと思います。
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①将門の首塚
平安時代、悪い朝廷の役人を倒して関東を制圧した平将門は独立を画策したことから、朝廷によって討伐されました(平将門の乱)。
平安京にて晒し首になった将門の首は胴体を求めて飛び立つも、力尽きて現在の大手町に落下。

以降、周辺で奇怪なことが起こったことから、将門公は当地に祀られるようになりました。

数年前から首塚周辺はずっと工事中でしたが、「将門の呪い」により畏れられている首塚は、周囲が工事中でも一切移動させられることはありませんでした。

平将門の首塚、ここは絶対に手をつけてはいけない場所なのです…。

下見に行った10月、工事が終わり首塚周辺は明るくなっていました。

都会の中の緑のオアシスのような感じで雰囲気も良くなったなぁ、参加者の皆さんにもこれを見てもらおうニコ

開催日、首塚に行ってみると…なんじゃこりゃああああああ!!

なんで今更工事しとんじゃ、ていうかここは手をつけてはいけない場所じゃなかったのかよ!アセアセ

僕が将門公なら大手町中にイオナズンでもぶちかましますが、特に何も起こっていないようなので将門公は怒っていないのでしょう。

残念ながら中に入れなかったので、扉の隙間から塚を見てきました。

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②皇居東御苑
江戸城本丸、二の丸、三の丸があった場所は、現在は「皇居東御苑」として一般公開されています。

江戸城の正門である大手門から入園して天守閣跡を目指します。

大手門は高麗門と櫓門から構成される、桝形門形式となっております。


近くに置いてある鯱は1657年の「明暦の大火」後に作られたものです。

皇室の方々から寄贈された美術品を展示している三の丸尚蔵館。

広いわけではありませんが、無料なので東御苑に来た際は立ち寄ってほしい場所です。


かつてこの場所にあった下乗門は二の丸と三の丸の境界で、御三家以外の大名はここで駕籠を降りて徒歩で登城しました。
奥にあるのは同心番所で、同心たちが入城者の監視を行いました。

百人番所は二の丸内最大の番所で、甲賀組、伊賀組、根来組、廿五騎組から編成される鉄砲隊が配置されていました。

石垣をよ~く見ると、様々な形や模様が残っていたりします。

中央の石にある小さな穴々は石を割るための切り込み線用の穴で、矢穴といいます。

この辺の石には線上の切り込みが入っています。

これは模様として職人たちによって彫られたものです。

中雀門は本丸の玄関にあたる門で、御三家の大名もここで駕籠を下りなければなりませんでした。

現在は石垣が残るのみで、ここには幕末の火事で焼損した跡が残っています。

本丸御殿跡に着いたので、まずは最近公開が始まった江戸城天守復元模型を見てみましょう。

東御苑の施設はコロナの影響による入場制限がかかっていたので、少し並ぶ場所もありました。

中はこんな感じ。

天守閣の復元計画もあるようですが、僕は無理に建てる必要はないかと思います。

白鳥濠展望台からの景色。

手前の雑木林&庭園エリアは今回は行ってないので、また次の機会に。

上皇上皇后両陛下が植樹された果樹古品種園。
秋に来ると様々な種類のミカンや柿を楽しむことができます。
盗って食おうと思ったら渋柿でしたにやり

富士見櫓は江戸城に現存する三棟の櫓のうちの一つで、その中でも唯一の三重層櫓です。
江戸城天守閣がなくなったあとは、その代わりを務めた櫓でもあります。

忠臣蔵ファンなら誰でも知っている松の廊下。
浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が吉良上野介(きらこうずけのすけ)に斬りつけた現場である松の廊下は、現在では小さな石碑が残るのみです。
本丸のへりに建てられた富士見多聞(石垣上に建てられた長屋造りの櫓)。
昔は多聞もたくさんありましたが、現存する多聞はここだけです。

本丸側から見てもよく分からないと思うので、反対の乾通りから見た富士見多聞もどうぞ。
下の写真は春秋に実施される乾通り一般公開の時に撮影したものです。
竹林は皇居東御苑で僕が一番好きな場所です。

「若竹」をお印(シンボル)に持つ昭和天皇のご意向で植樹されたもので、様々な種類の竹が植えられています。
幹や葉の太さや長さ、色、形など様々でとても興味深いです。
「ここは東御苑でも最も見どころのあるスポットです!」とみんなに説明するも、大してヒットせずえーん
江戸城の象徴でもあった立派な天守閣は1657年の明暦の大火で焼失し、翌年天守台のみ再建(これが今の天守台)。
しかし、天守閣は様々な理由から再建が見送られ、結局二度と再建されることはありませんでした。
天守閣跡から見える芝生広場がかつての本丸御殿跡。

かつては広大な本丸御殿が建てられており、「表」「中奥」「大奥」という3つのエリアに分かれていました。

御殿は幕末の火事で焼失後に再建されることなく、現在に至ります。

桃華楽堂は「桃」をお印に持つ香淳皇后(昭和天皇の奥さん)の還暦を記念して建てられた音楽堂です。

ほとんどの人が無視して通り過ぎていきますが、よ~く見ると何かが置いてあったりします。

東御苑の出入口の一つ「北詰橋(はねばし)門」から出ましょう。

その名の通り、昔は跳ね橋がかかっていた門で、よく見ると金具が残されています。

東御苑散策はここまで。

皇居企画は毎回それなりに人は集まりますが、いかんせん若干地味な場所なので、みんなの反応が薄いような気がして不安になります。

楽しんでもらえたかやろかアセアセ

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③国立公文書館
国立公文書館は、国の重要な公文書等を歴史的資料として保存している独立行政法人で、一部公文書は一般向けに展示されています。

展示物として、江戸時代の書物や御署名原本(天皇陛下の署名が入った大日本帝国憲法、日本国憲法、終戦の詔勅などの詔書)があり、展示室では各テーマに沿った展示会も開催されています。

有名な憲法や条約の御署名原本。

これはなかなか貴重。

誰でも知ってるこんなものも(ただし複製)。

訪問日は展示会「グルメが彩るものがたり-美味しい古典文学-」も見学しました。

国立公文書館は昔からその存在は知っていたけど、正直「地味そう」「つまらなそう」と思ってスルーしてました。

下見で初訪問して、見どころがたくさんあることに気付いて今回のコースに入れてみた次第です。

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④北の丸公園
かつての江戸城・北の丸があった場所で、徳川屋敷や近衛師団駐屯地を経て、現在は公園として開放されています。

紅葉はこんな感じでした。

ここに限らず、全体的に色づきが薄い年だった気がします。


陽が少し落ちてきて、金の玉ねぎになってました。

日曜の武道館は何かしらイベントが開催されているイメージですが、コロナの影響なのかイベントもなくひっそりとしていました。


君一本だけ絶賛紅葉中だなアセアセ

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⑤九段坂公園
靖国通りと千鳥ケ淵の間にある小公園。
以前は街路樹に囲まれて薄暗い場所でしたが、整備されて景観の良い公園になりました。

手前の常燈明台は靖国神社の常夜灯として1871年(明治4年)に作られました。

品川弥次郎は長州藩出身で、吉田松陰が開いた松下村塾の門下生です。
薩長同盟の成立に尽力し、明治維新後は大臣にまで出世しました。

大山巌(おおやまいわお)は薩摩藩出身で西郷隆盛のいとこにあたります。
日清戦争、日露戦争では陸軍大将として日本軍の勝利に貢献し、「陸の大山、海の東郷(東郷平八郎)」と称賛されました。

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⑥靖国神社

幕末以降の戦争や内戦で亡くなった朝廷側の人々を「英霊」として祀る神社。

参道中央の柱に立つ人は、上野戦争において彰義隊を一日で壊滅させた軍事の天才・大村益次郎です。

靖国神社の前身「東京招魂社」の建立を唱え、近代日本軍隊の基礎を作った人物でもあります。

シルエットクイズ風に人物を黒塗りにしました。

おでこ付近に何か飛び出したものが見えます。

正解は眉毛でした…。

偉人の像やぞ、もうちょっとどうにかならんかったのかアセアセ

参拝者の行列ができていたので、鳥居のところで頭だけ下げてきました。

併設の戦史博物館・就遊館に行ったことがない方が多かったので、入口だけ見てみましょう。

こちらでは日本が関わった戦争の紹介や、兵器、遺品の展示などが行われています。
見どころが多すぎてサークルで行くにはちょっと躊躇してしまう場所です(個人での見学時間が長すぎてサークルの体を成さない)。

靖国神社の猫。

目を閉じて黙祷を捧げているようでした(いや、多分寝てるだけ)。


久しぶりの靖国神社でしたが、境内の工事も終わって広々となり綺麗になっていました。

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⑦築土神社
940年、将門の首桶を祀る「津久戸明神」として現在の大手町に創建されました。
以降、九段~飯田橋周辺を転々とし、現在は靖国神社近くのアイレックスビル内に境内をかまえています。

ここも見どころの多い神社なのですが、暗い中の説明はちょっと大変でした。

みんなにも伝わりにくかったかも、ごめんなさい。

裏通りから見るビル屋上には戦神将門を由来とした大きな剣が飾られていますニコ

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今回はここまで。

ブログに着手さえすれば1日程度で作り終わるのに、今回は腰が重かった…。
風邪の時期である冬にコロナがぶり返すのは予想していたけど、まだまだこれから先も見えない感じです。

HPでも告知しておりますが、緊急事態宣言中はサークルはお休みするので、また落ち着いたらご参加お願いします雪だるま