12月も半ばを過ぎ、すっかり寒くなってきました雪

開催日は夕方から雨予報も出ていてとても寒い日でしたが、築地から月島まで楽しく散策しましょう。

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①築地木村屋

今回はお昼抜きで集合してもらい、「築地木村屋」さんで昼食をとることに。

こちらはあんぱんでおなじみ「銀座木村屋」さんからのれん分けしてできたお店で、あんぱんに加えてカレーパンも名物となっております。

値段も手ごろだし、味も抜群!

おまけにシュトレーン(値段の高いパン)の試食までさせてもらって大満足ですニコ

お店に貼ってあった面白い張り紙。

僕もボケたくないので、築地に来た時はまたカレーパン頂きますカレー

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②築地本願寺

築地本願寺、というか築地の歴史には佃島が大きく関わっています。

ちなみに佃島というのは月島の上あたり、隅田川河口付近にある小さな街です。

佃島(と隣の石川島)は江戸時代初期から隅田川河口にあった小さな中州を起源としており、のちに家康と縁の深かった摂津国(大阪)佃村の森孫右衛門率いる漁師たちが移り住んだことから「佃島」と呼ばれるようになりました(この頃築地はまだ海の底)。

1657年、江戸の街に大火が起こり、日本橋横山町にあった西本願寺別院(1617年建立)が焼失しました。

のちに幕府によって別の場所での再建を許可されますが、指定された場所はなんと海の上!

それを知った佃島の門徒たちは海を埋め立てて土地を築き、1679年、寺は再建されました。

これを由来にこの場所は「土地を築き→築地」と呼ばれるようになり、寺も「築地本願寺」と呼ばれるようになりました。

ついでに言うと、築地市場の前身である「日本橋の魚河岸」を作ったのも佃島の漁師たちなので、築地と佃島がいかに関係が深いかお分かり頂けるかと思います。

お寺の入口横には歴史のキーパーソン・森孫右衛門の供養塔があるのですが、ほとんどの人がスルーしていくのでちょっと残念ショック

現在の本堂は関東大震災後に建てられたものです。

古代インド洋式をモチーフにした独特のデザインは建築家・伊東忠太の設計によるもので、動物(実在空想問わず)の彫刻も特徴の一つとなっています。

本堂入口の狛犬には羽が生えています。

本堂階段にはデフォルメ化した動物たちがいます。

これが美術館とか洋館なら特に違和感はないのですが、ここはお寺やぞアセアセ

力強い象さん。

本堂内になぜかステンドグラスやパイプオルガンがあるという摩訶不思議なお寺です。

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③波除稲荷神社

江戸時代、荒波の影響で築地の造成工事は難航していました。

そんなある夜、海中から光を放つ御神体が見つかったので、人々は社殿を建ててこれを祀ることに。

すると、波は収まり工事も順調に進んだことから、波除と災難除けにご利益のある「波除稲荷神社」として崇敬を集めるようになりました。

境内には巨大な厄除天井大獅子(雄獅子)や…

弁財天お歯黒獅子(雌獅子)が鎮座しております。

また築地市場にちなんだ魚や寿司関係の石碑もたくさん建っています。

頭に魚介類をのせた「海の七福神」も飾られていました。

これはなかなか面白いねイヒ

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④勝どき橋

明治に入ると佃島や石川島と陸続きに埋立地が作られるようになり、当時は月島1号地、月島2号地…のように呼ばれていました。

明治38年(1905年)、日露戦争・旅順攻囲戦で日本が勝利を収めたことを記念し、築地と月島2号地の間に渡し船「勝どきの渡し」が運航されるようになりました。

「勝どきの渡し」はのちに廃止されましたが、跳開橋「勝どき橋」の名や、「勝どき」の地名として今も残っています。

昭和15年(1940年)に架橋された「勝どき橋」にやってきました。

昭和45年(1970年)までは橋の真ん中が開き船も航行できる跳開橋として使われていましたが、現在はもう開くことはありません。

しかし現在でも稼働用の施設はそのまま残されているので、橋の真ん中まで見に行きましょう。

日曜休みで入れなかった「かちどき 橋の資料館」に展示してあった模型で説明します。

橋は全体が開くわけじゃなく、橋の中央部分だけが上に開く形式となっています。

中央部では境目となる部分が確認できます。

この辺は大型車が通るとグラグラ揺れるので、ちょっと怖いアセアセ

現在工事中ですが、予約制で橋脚内部の見学ツアーもあるそうです。

工事が終わったら申し込んでみるか。

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⑤明石町散策

明石町(聖路加国際病院のある場所)は明治時代は外国人居留地になっていた場所で、たくさんの史跡があります。

ただし、ちょっと地味めなのでここは簡単に…まずはシーボルト像。

幕末には中津藩(大分県)の藩屋敷があり、杉田玄白や前野良沢らによって医学書「ターヘル・アナトミア」の翻訳が行われました。

また、同じく中津藩の福沢諭吉が蘭学塾(のちの慶応義塾大学)を開いた場所でもあります。

「タイムドーム明石」には中央区の郷土資料展示室があるので見学に行きました。

しかし、見学中、ボランティアガイドの爺さんによるガイドがスタート(頼んでないのに)。

説明したい気持ちはよく分かるけど、行く先々までストーキングしてきて好き勝手に話をしてくるのはただの迷惑なんだな…。

まぁ僕がここで怒ったところで何も始まらないので、これからは頼んでいないガイドには「不要です」とキッパリ言うことにしました。

そして僕自身も独りよがりなガイドをしないように気をつけないと…と思いました(長文すんません)。

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⑥佃島散策

築地から隅田川を超えて佃島を目指します。

佃大橋のたもとには江戸初期から300年以上も続いた渡し船「佃の渡し」跡をしめす石碑がひっそりと置かれています。

佃大橋からは、隅田川河口にある石川島と佃島が一望できます。

鳥居の左に見える水路(水門のあるところ)から左側が石川島、右側が佃島です。

佃島は震災や戦災の被害が少なかったことから、今でも江戸時代の街割りが残っています。

佃島には老舗の佃煮屋さんも残っています。

今回は田中屋さんでお買い物。

「住吉神社」は佃島の漁師たちが故郷から分霊した氏神と、彼らと関係が深かった家康を共に祀る神社です。

漁師町の神社らしい漁獲風景の彫刻や…

大きな「鰹塚」も置かれています。

佃島は歴史は深いけど、若干マイナーな感じはあるかな。

個人的には観光客だらけでうるさい上野や浅草よりずっと好きだけどなぁ。

静かで散策しやすいし、佃島はこのままであってほしいなと思います。

細い路地の入口になんか看板がありますね。

これは一体…。

細い路地の真ん中にある「佃天台地蔵尊」。

いつ行っても綺麗な花が供えられています、地域の人たちに大切にされているんですね。

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⑦月島散策

明治時代、佃島や石川島と陸続きに造成された埋立地、それが現在の月島です。

工業地帯として栄え、現在ではもんじゃの街としても有名ですね!

今回も老舗の有名店・こんどうさんへ。

有名店というだけあって雨の中外で並んでいる人もたくさんいました。

月島に入った辺りから雨がちょっと強くなってきて、商店街やお店の写真を撮り損ねてしまったので、いきなりもんじゃの写真です。

これは変わり種のお茶漬けもんじゃだったかな。

今回は忘年会企画としてこのサークルでは珍しくお酒も飲みながら、4枚ももんじゃを食べてきましたニコ

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というわけで、今回はここまで。

築地本願寺を出たあたりからポツポツと雨が降っていましたが、幸いおしめり程度だったのでなんとか最後まで無事に進めることができました。

今回はガイドも多くて、クソ寒い中僕の話を聞くのも大変だったかもあせる

まぁ最後はアツアツのもんじゃを食べて、楽しく忘年会ができてよかったです。

今年はこれが最後の企画となりますので、また来年もよろしくお願いします鏡餅