令和6年(2024年)12月18日㈬


「令和6年12月中旬」1日目の旅は大阪府河内長野市に来ました。

日本100名城に選定されている千早城跡を訪れた後、再び南海バスに乗り河内長野駅前へ

※この記事の続きです。


日没までにはまだ時間がある、ちょっと河内長野市内を歩きます。

高野街道を歩きます。


※高野街道

高野街道(こうやかいどう)とは、かつて京・大坂から高野山への参詣道として用いられた街道で、主に大阪府河内長野市から和歌山県橋本市の間を指す。
河内長野駅付近にある七差路の「七つ辻」は、車道における西高野街道と東高野街道が合流するかつてからの交通の要衝であり、河内長野駅から三日市町駅にかけての高野街道は、宿場町としての歴史的な街並みが残っている。
古い町並みを歩き







河内長野駅から1.1km先、烏帽子形城跡に鎮座する烏帽子形八幡神社へ向かいます。

このような道案内があり
迷うことなく行けました。





烏帽子形城の跡のようです。

※烏帽子形城(えぼしがたじょう)

大阪府河内長野市喜多町の烏帽子形山にあった日本の城。標高182mの烏帽子形山の山頂部に位置し、城跡は国の史跡に指定されている。
楠木正成が築城した楠木七城のひとつで、東側斜面に烏帽子形八幡神社、北側斜面に烏帽子形古墳がある。烏帽子形八幡神社の神域とされたこともあり、市街地に近いにもかかわらず大規模な改変工事等は行われなかったため、随所に安土桃山時代の遺構が比較的良い保存状態で残されている。
烏帽子形八幡神社に着きました。



石段を上り、境内へ

重要文化財の烏帽子形八幡神社本殿




※本殿は文明12年(1480年)再建。入母屋造檜皮葺。桁行三間、梁間二間、身舎柱は円柱とし、側面後端に脇障子を設け、木部は朱塗りとする。正側面三方に縁を設け、擬宝珠付き高欄をめぐらす。向拝は三間の総向拝で、中央に五段の木階を造り、浜床が付く。元和8年(1622年)8月修復。1965年(昭和40年)7月に解体修理が行われ、建立当時の姿に復元された。




御朱印は頂いけませんでした。

先ほど、千早城跡を登った疲れが……

烏帽子形城跡へ登るのはパス











再び1.1km先の河内長野駅へ戻ります。

河内長野からは近鉄長野線に乗車

河内長野市1616発 準急 大阪阿倍野橋行き

往路と同じく近鉄に乗車
列車は5両編成

大阪阿倍野橋方の前2両は6407系 6410F編成 

後ろ3両は6020系C55編成3連

近年、喜志〜富田林が高架かされた近鉄長野線の「乗り直し」です。

※近鉄長野線は古市〜河内長野 12.5 km。

2022年(令和4年)6月4日:喜志駅 - 富田林駅間の上り線を高架化。 2023年(令和5年)6月10日:喜志駅 - 富田林駅間の下り線を高架化。 


※近鉄長野線は2022年2月に乗車



古市(1634着1637発)では前に2両を増結、7両編成となり



終点の大阪阿部野橋1658着

古市で増結された前2両は

 6432系 6427F編成 2連でした。





夕暮れのあべのハルカス