名護屋城跡

佐賀県唐津市

令和6年(2024年)11月20日㈬ 撮影




唐津バスセンターから昭和バスに乗り名護屋城博物館入口で下車。

名護屋城跡はバス停から0.5km先

このような道を歩き

左は名護屋城博物館へ向かう道、右は名護屋城跡へ向かう道


先に名護屋城博物館へ向かいます。

入園無料
立派な施設

佐賀県立名護屋城博物館

入館料:無料 

開館時間:9:00 - 17:00 

休館日:毎週月曜日(ただし、祝日の場合は翌日)、年末(12月29日~12月31日)
佐賀県立名護屋城博物館に設置されている日本100名城スタンプを押しました。


御城印2種類と

城カードを購入

佐賀県立名護屋城博物館を出て名護屋城跡へ

名護屋城跡観光案内所では歴史遺産協力金100円


※名護屋城

佐賀県唐津市、東松浦郡玄海町にあった城。太閤豊臣秀吉が文禄の役を始める前に築かせた。現在、国の特別史跡に指定されている。平成18年(2006年)には日本100名城に選定された。

名護屋(古くは名久野)は海岸線沿いに細長く広がる松浦郡の北東部の小さな湾内に位置し、中世には松浦党の交易拠点の一つであった。ここにはもともと松浦党の旗頭・波多氏の一族である名護屋氏の居城、垣副城があった。天正19年(1591年)、豊臣秀吉は大陸への侵攻を企図した際、ここを前線基地として大掛かりな築城を行った。 名護屋城は波戸岬の丘陵(標高約90メートルほど)を中心に170,000平方メートルにわたり築かれた平山城の陣城である。五重天守や御殿が建てられ、周囲約3キロメートル内に120ヵ所ほどの陣屋がおかれた。 城の周囲には城下町が築かれ、最盛期には人口10万人を超えるほど繁栄した。 慶長3年(1598年) 、秀吉の死亡後、大陸侵攻が中止されたために城は廃城となったと考えられており、建物は寺沢広高によって唐津城に移築されたと伝わる。石垣も江戸時代の島原の乱の後に一揆などの立て篭もりを防ぐ目的で要所が破却され、現在は部分が残る。歴史上人為的に破却された城跡であり、破却箇所の状況が復元保存されている。

wikipediaより引用
























坂を登り



大手口





東出丸へ

東出丸









東出丸からの眺め、左に見えるのは呼子大橋

東出丸から三ノ丸へ



途中にある水手口へ



水手郭

















水出口

三ノ丸





本丸へ