津山城跡

岡山県津山市 鶴山公園


令和6年(2024)9月4日㈬ 撮影

津山城本丸跡に来ました。 

*この記事の続きです。


*津山城

 美作国 苫田郡(のち西北条郡)津山(現在の岡山県津山市山下)にあった城。別名・鶴山城(かくざんじょう)。城跡は国の史跡に指定されている。
城郭の形式は梯郭式平山城。日本三大平山城のひとつ。津山盆地の中央部に位置し、城の東部を流れる吉井川支流の宮川及び丘陵の天然の断崖を防御線に取り入れている。城の南部を流れる吉井川とその支流で西部に位置する藺田川(いだがわ)を外郭とし、その内側に城下町の主要部を形成している。 往時は外郭を含めて、広島城の76棟、姫路城61棟をしのぐ77棟の櫓が建ち並び、明治初頭にその様子を撮影した写真が残されている。また、近隣の津山郷土博物館には、文献や古写真に基づいて製作された津山城の復元模型があり、往時の姿を窺うことができる。明治6年(1873年)の廃城令により天守・櫓などの建物が破却され、現在は遺構の石垣や建物の礎石が残り、2002年(平成14年)から2006年(平成18年)までに再建された備中櫓と土塀がある。 現在は鶴山公園(かくざんこうえん)として桜の名所となっており、日本さくら名所100選にも選ばれている。例年4月1日から15日には城跡公園を中心に津山さくらまつりが催される。

wikipediaより引用



備中櫓の周囲は工事中



備中櫓には後ほど入館

本丸を歩きます。





「森侯入封三百年記念碑」





天守台



七番門と虎口

天守台を登ります。


*津山城天守は破風を持たない4重5階地下1階の層塔型天守で、南側に六番門(櫓門)を付属させる複合式平面の天守であるが、天守へは東側の穴蔵入り口から出入りする構造であった。天守台の高さは約3間、穴蔵の高さは11尺5寸、天守建物の全高は約23メートル。平面規模は初重、梁間10間(65尺)、桁行11間(71尺5寸)であった。初重の壁面の四隅には袴形の石落としを付け、各階4重目までに鉄砲狭間と矢狭間を開けた。最上階は明治期の写真では、戸板に覆われている様子が写されており、その下階の4重目は最上階とほぼ同規模に造られていることが寸法からも伺われることであるが、創建当初は外廻縁に高欄を廻らせていた。4重目の屋根は板葺きで、軒出も浅く造られていた。これは、言い伝えによると幕府からの咎を避けるためという。一方、国立公文書館に所蔵されている正保城絵図の『美作国津山城絵図』では天守の傍らに「天守五重高十一間」と注記がある。
1874年 - 1875年(明治7年 - 明治8年)天守・櫓などの建物がことごとく破却された。

wikipediaより引用
案内板には

ハートの石 「愛の奇石」

との表示
ハートの石がありました。

天守台に登りました。





天守台から見た備中櫓











天守台を下りて

多門櫓跡







備中櫓へ向かいます。







五番門跡

 備中櫓は2002年(平成14年)に築城400年記念行事の一環として、復元工事に着手。平成17年(2005年)完成。 

備中櫓へ入ります。







備中櫓に展示されている

日本100名城スタンプ 津山城

を押しました。

2023年5月から(個人的に)始めた日本100名城スタンプ及び続日本100名城スタンプ集め、以前に訪れた城もスタンプを押すために再訪しています。

今回、1年8ヶ月ぶりに津山城跡(鶴山公園)を訪れたのは日本100名城スタンプを押すためです。


「オシロボット」の御城印

城カードを購入













二階へ











階段を下りて



再び一階へ

備中櫓の外に出ました。







石段を下り









三の丸から出口へ



鶴山公園を出ました。