津山城跡(鶴山公園)

令和5(2022)1月5日㈭ 撮影

画像は鶴丸公園入口  

*津山城(つやまじょう)は、美作国 苫田郡(のち西北条郡)津山(現在の岡山県津山市山下)にあった日本の城。別名・鶴山城(かくざんじょう)。城跡は国の史跡に指定されている。
城郭の形式は梯郭式平山城。日本三大平山城のひとつ。津山盆地の中央部に位置し、城の東部を流れる吉井川支流の宮川及び丘陵の天然の断崖を防御線に取り入れている。城の南部を流れる吉井川とその支流で西部に位置する藺田川(いだがわ)を外郭とし、その内側に城下町の主要部を形成している。 往時は外郭を含めて、広島城の76棟、姫路城61棟をしのぐ77棟の櫓が建ち並び、明治初頭にその様子を撮影した写真が残されている。また、近隣の津山郷土博物館には、文献や古写真に基づいて製作された津山城の復元模型があり、往時の姿を窺うことができる。明治6年(1873年)の廃城令により天守・櫓などの建物が破却され、現在は遺構の石垣や建物の礎石が残り、2002年(平成14年)から2006年(平成18年)までに再建された備中櫓と土塀がある。 現在は鶴山公園(かくざんこうえん)として桜の名所となっており、日本さくら名所100選にも選ばれている。例年4月1日から15日には城跡公園を中心に津山さくらまつりが催される。

wikipediaより引用
石段を登り





森忠政の座像 

表情が機嫌悪そうな?



この先は有料、入場料310円






備中櫓が見えてきました。

*:備中櫓 

 本丸御殿の南に位置し、その名は森忠政の娘婿である池田備中守長幸に由来すると伝えられている。 築城400年の記念事業として復元され、2005年(平成17年)春から一般公開されている 。

wikipediaより引用




備中櫓の中へ入ります。




階段を上がり二階へ

二階
二階からの眺め
備中櫓の近くには天守台



天守台から見た備中櫓




鶴丸公園内にある建物 鶴山館

鶴山館  1765年(明和2年)には五代藩主松平康哉の時代に津山藩藩校として学問所が設けられた[13]。1870年(明治3年)には学問所から修道館に改称し、1871年(明治4年)の廃藩によって廃校となった。 その後は北条県立中学校の校舎、共立小学校の校舎、区務所、郡役所、幼稚園、私立学校、町立高等小学校、県立中学校、県立女学校などさまざまな組織がこの建物を使用したが、1904年(明治37年)に鶴山公園内に移築され、「鶴山館(かくざんかん)」と名付けられた。

鶴山館内部


B'zのパネルが展示されています