津山城跡

岡山県津山市 鶴山公園


令和6年(2024)9月4日㈬ 撮影



*前回撮影 令和5年(2023)1月5日㈭ 


石段の一部は工事中。

*津山城

 美作国 苫田郡(のち西北条郡)津山(現在の岡山県津山市山下)にあった城。別名・鶴山城(かくざんじょう)。城跡は国の史跡に指定されている。
城郭の形式は梯郭式平山城。日本三大平山城のひとつ。津山盆地の中央部に位置し、城の東部を流れる吉井川支流の宮川及び丘陵の天然の断崖を防御線に取り入れている。城の南部を流れる吉井川とその支流で西部に位置する藺田川(いだがわ)を外郭とし、その内側に城下町の主要部を形成している。 往時は外郭を含めて、広島城の76棟、姫路城61棟をしのぐ77棟の櫓が建ち並び、明治初頭にその様子を撮影した写真が残されている。また、近隣の津山郷土博物館には、文献や古写真に基づいて製作された津山城の復元模型があり、往時の姿を窺うことができる。明治6年(1873年)の廃城令により天守・櫓などの建物が破却され、現在は遺構の石垣や建物の礎石が残り、2002年(平成14年)から2006年(平成18年)までに再建された備中櫓と土塀がある。 現在は鶴山公園(かくざんこうえん)として桜の名所となっており、日本さくら名所100選にも選ばれている。例年4月1日から15日には城跡公園を中心に津山さくらまつりが催される。

wikipediaより引用


石段の先は三の丸の高石垣





鶴山公園入口近くに展示されている

忘れ去られた石
案内板から引用


忘れ去られた石
 

 平成10年の台風10号通過後、津山市大谷の石山登山道近くの谷川で、津山城築城時に切り出されたと思われる石が見つかりました。
 石の重さは約2.3トン、近くにある「津山城石切場跡」にある矢穴(石を割るためにノミで穿った穴)と同じ大きさものが石の上下に計9か所残っています。津山城築場時に切り出された石に一部であることは間違いなく、何らかの理由で築城現場まで運ばれなかったようです。この石は「忘れ去られた石」と名づけられました。
 平成16年3月に谷川から引き上げられ、同年5月の津山城築城400年記念事業「津山歴史時代絵巻~築城大石曳き~」で大谷町内のみなさんによって"歴史石曳き"として修羅(巨石などを運ぶ木製のそり状の運搬具)に載せて市内中心部を約400メートル曳かれた後、津山城跡近くに約400年ぶりに届けられました。




左は森忠政像

中央の建物は鶴山公園案内所・切符売場

奥に見えるのは鶴山公園表門




*森 忠政(1570−1634)

 安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。信濃国川中島藩主、後に美作津山藩の初代藩主。 
 元亀元年(1570年)、美濃金山城で織田信長の家臣・森可成の六男(末子)として生まれる。
 天正10年(1582年)の春頃、「長重」を名乗り織田信長に小姓として出仕するが、本能寺の変が起きた時は近江安土城に居り難を逃れた。
 天正12年(1584年)、兄の長可が小牧・長久手の戦いで戦死。この時点で既に他の兄達は全て早世しており、羽柴秀吉により長重が金山7万石の跡継ぎとして指名された。
 天正13年(1585年)になると「一重」と改名。天正14年(1586年)になると「忠重」と改名し秀吉の関白拝賀のため参内している。天正15年(1587年)豊臣姓を下賜され、従四位下・侍従に叙任された。また同時に羽柴姓と桐紋の使用を認められ、以後「羽柴右近大夫忠政」と称す。
 慶長3年(1598年)に秀吉が死亡すると徳川家康に接近。慶長5年(1600年)、信濃国川中島13万7,500石へ加増転封。本姓である森姓を再び名乗り同年の関ヶ原の戦いでは東軍に与した。
 慶長8年(1603年)、小早川秀秋の死によって小早川家が無嗣改易されると美作国一国18万6,500石(津山藩)への加増転封。慶長9年(1604年)には津山城築城開始。
 

 慶長19年(1614年)の大坂冬の陣、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣では徳川方として参戦。慶長21年(1616年)、13年の歳月をかけた津山城が完成。

 寛永11年(1634年)、京都にて死去、享年65歳。





切符売場にて券を購入し表門から入場


*鶴山公園

 開園時間  8:40-19:00(4~9月)/8:40-17:00(10~3月) ※津山さくらまつり期間中7:30-22:00 

 休日 12/29~31 

 料金・大人310円(中学生以下無料)



石段を登り


三の丸跡に建つ鶴山館へ

*鶴山館  


1765年(明和2年)には五代藩主松平康哉の時代に津山藩藩校として学問所が設けられた。1870年(明治3年)には学問所から修道館に改称し、1871年(明治4年)の廃藩によって廃校となった。 その後は北条県立中学校の校舎、共立小学校の校舎、区務所、郡役所、幼稚園、私立学校、町立高等小学校、県立中学校、県立女学校などさまざまな組織がこの建物を使用したが、1904年(明治37年)に鶴山公園内に移築され、「鶴山館(かくざんかん)」と名付けられた。




鶴山館に入ります。







B'zのパネル



鶴山館を出ました。



津山城「つるまる広場」

1955年に開園し、2011年に閉園した鶴山動物園の跡地。 動物園は石垣修理のため閉園。2017年11月、跡地の愛称が、津山市観光協会の創立60周年記念事業として企画された公募で「津山城つるまる広場」と定められた。


三の丸

三の丸


三の丸から見た二の丸石垣





二の丸への石段





四足門跡

二の丸の入口の門



二の丸から見た備中櫓



鉄砲櫓跡

二の丸からの眺め



石段を登り本丸へ



切手門跡

切手門は二の丸から本丸表鉄門の間を仕切る門





弓櫓跡











表鉄門跡



本丸に来ました。