令和6年(2024年)8月22日㈭


2024年夏の青春18きっぷ、7回めの使用は武豊線に乗り半田に来ました。

 半田市内を歩いたあとは再び半田駅へ。画像は

令和3年(2021年)、半田駅高架化工事に伴い供用開始された仮駅舎。半田駅高架化は2027年(令和9年)度完成予定。


*この記事の続きです。
*2015年8月 武豊線に乗車





上り列車

627G   半田1043着1044発 大府行き

が到着。この列車には乗らず




 乗車するのは下り武豊線

622G  半田1044着1045発 武豊行き 

 半田では上り627G(画像左)と下り622G(画像右)が単線区間行き違いの列車交換。




と交換



622Gの車両は313系1300番台B503編成2連

乗車時間わずか8分、終点の武豊1053着。

9年ぶりの下車。

*武豊駅は単式ホーム1面1線の地上駅。 無人駅で、大府駅から遠隔管理されている。2013年までは業務委託駅で、JR全線きっぷうりばも設置されていたが、JR東海は2013年(平成25年)より当駅を含む6駅について「集中旅客サービスシステム(現・お客様サポートサービス)」を導入し、自動券売機・自動改札機を整備した上で遠隔案内によって一括的に管理されるようになり、無人化された。ただし主要駅でありながら指定席券売機は設置されていない






駅前に建つ胸像

*高橋煕君之像 

 1953年(昭和28年)9月25日に襲来した台風13号の影響で、武豊駅と東成岩駅の間で防波堤が決壊して高潮が発生、線路が流失した。この異変を、進行中の当駅行き上り列車に知らせるべく、武豊駅駅手の高橋煕(ひろし)が発炎筒を手に東成岩駅方面へ走り出した。上り列車の機関士は前方に振られる発炎筒に気付き、水際まで約400メートル程度のところで非常停止した後、東成岩駅まで後退したため、列車の乗客約30名および乗務員は難を逃れた。しかしながら高橋は武豊駅に戻ることはできず、翌日午後に遺体で発見されたが、その際にも両手で信号灯の容器をしっかり抱いた状態であった。 この一件は全国に報道され、殉職した高橋の行動は「国鉄職員の鑑」として称賛された。その功を記念し将来に残すため、日本全国の国鉄職員と小中学生からの募金などにより胸像が建立された。

武豊線貨物支線 武豊駅 - 武豊港駅間 (1.0 km) は1965年(昭和40年)8月20日に 廃止。武豊港駅廃止。 

その廃線跡に沿って歩きます。


踏切跡。



金網に囲まれた廃線跡。

川を渡り





金網が途切れると廃線跡は散策路に





暑い中、ありがたい木陰

散策路が終わると廃線跡は途切れて

廃線跡は道路と建物に



武豊駅から歩くこと1km、旧武豊港駅に到着。



「武豊停車場跡地」の碑

碑文によると

 この地は、明治19年3月、県下で最初に開通した武豊線の起点武豊停車場跡地である。 わが国初の鉄道が明治5年、新橋・横浜間で開業、同7年には神戸・大阪間が開業した。 その後、関東・関西間の幹線鉄道建設計画が具体化し、そのルートには多少の曲折はあったが、中部地方における鉄道建設資材の輸入基地として武豊港が選ばれた。 この地先には、長さ80間(約145メートル)、幅3間(約5.5メートル)の木製桟橋が造られ、ここから熱田までの鉄道線路の敷設となった。 明治18年7月に着工され、翌19年3月1日に33.2キロメートルが開通した。 武豊線は当初資材運搬専用線であったが、開通直前に旅客営業も許可されて開業をした。 開業の翌20年2月には、明治天皇、皇后両陛下が、わが国初の陸海軍大演習を御統監のため京都からこの武豊線にて行幸され、武豊線の歴史の一ページを飾っている。 明治25年、字金下に現武豊駅が設置されたため武豊停車場は営業を中止したが、貨物運輸営業を開始した。 以後、戦争、敗戦、復興と激動の中で迎えたモータリゼーションの波に押され昭和40年ついに廃止となった。 本年武豊線開通百周年を迎え、町の発展に大きく寄与した武豊線を偲び、ここに記念碑を建立した。

旧武豊港駅は「転車台ポケットバーク」なる名称の公園

公園内には大屋根、その下には

転車台が展示されていました。

旧国鉄武豊港駅転車台、珍しい直角2線式転車台。

*旧国鉄武豊港駅転車台

旧武豊港駅構内にある転車台。登録有形文化財。直径7.2メートルの鉄製転車台であり、現存する直角2線式転車台としては日本唯一とされる。
 1886年(明治19年)3月1日には愛知県初の鉄道路線として武豊線が開通し、その起点として武豊駅(後の武豊港駅)も開業した。1892年(明治25年)には別地点に2代目武豊駅が移転すると、旧武豊駅は武豊駅構内の貨物駅として用いられていた。1901年(明治34年)には旧武豊駅の隣接地にライジングサン石油油槽所が建てられ、石油製品が貨車によって日本各地に運ばれた。 武豊駅構内に転車台が完成したのは1927年(昭和2年)のことである。転車台の直径は7.2メートルであり、2本のレールが直角に交差している。機関車の転車台と比較すると小規模であるが、石油を運搬する20トンタンク車の回転には適した規模だった。一般的な転車台は1線式であり、2線式は珍しいとされる。直角2線式の転車台は武豊駅のほかに、東京都の旧汐留駅でも用いられていた。 1930年(昭和5年)には旧武豊駅が正式に武豊港駅となった。1965年(昭和40年)8月20日には武豊港駅が廃止され、転車台は使用されなくなって放置された。その後、この場所は中山製鋼所名古屋製鋼所の敷地となった。 
  1999年(平成11年)、武豊町立武豊小学校の児童が総合学習で史跡を調べていた際に転車台を発見した。転車台は土に埋もれ、鉄骨が錆びて歪むなどしていた。その後の調査で全国唯一の直角2線式転車台と判明したこともあり、武豊町は転車台の保存と整備を決定した。 2002年(平成14年)1月には鉄骨の交換、屋根や鉄柵の設置などが行われ、同年10月28日に一般公開が開始された。2005年度(平成17年度)以降には小公園の整備が開始され、2007年(平成19年)5月には転車台を中心とするポケットパークが完成した。この際には東海旅客鉄道から譲渡された腕木式信号機や手動式ポイント切替機を設置し、遊具と休憩施設も設置している。2008年(平成20年)1月には公募によって「回転ポッポ台」という愛称が付けられた。 2009年(平成21年)1月8日、登録有形文化財に登録された。






これから向かう、

まちの駅 味の蔵たけとよ

は約50m先


まちの駅『味の蔵たけとよ』  

営業時間  9:00〜18:00 

 月曜日(祝日の場合は翌日)、12月29日〜1月3日は休み 座標蓋は地域交流センター前の歩道、旧国鉄武豊港転車台前



味の蔵たけとよ では武豊町のマンホールカードを配布


頂きました。

座標軸のマンホールは旧国鉄武豊港駅転車台近くに設置



暑い中、再び1km先の武豊駅へ歩きます。

豊石神社にお参り

広い境内ですが誰もいません。

開いてる社務所、授与所なども見当たらず。

後ほど調べたら御朱印は武豊町内の武雄神社で頂けるとのこと。
境内にはレンガ建物

再び武豊駅へ

9年ぶりに訪れた武豊、次に訪れるのは2027年(令和9年)度完成予定の半田駅高架化後か。

633G  武豊1207発 大府行き

に乗車

車両は

313系1300番台B506編成2連