伊賀上野城 

三重県伊賀市 上野公園

令和6年(2024年)3月21日㈭ 撮影



伊賀鉄道伊賀線上野市駅から0.5km、伊賀上野城跡である上野公園入口に来ました。
舗装された坂道を登ります。

*上野城

三重県伊賀市上野丸之内(上野公園)にある城(平山城)。白鳳城、伊賀上野城とも呼ばれる。
上野盆地のほぼ中央にある上野台地の北部にある標高184mほどの丘に建てられた平山城である。北には服部川と柘植川、南には久米川、西側には木津川の本流が流れ、城と城下町を取り巻く要害の地にある。 かつて上野城の場所には要塞としても利用された平楽寺や仁木氏館があった。織田信雄(北畠信雄)の家臣である滝川雄利は平楽寺の跡に砦を築いたが、小牧・長久手の戦いの際に脇坂安治によって落城させられた。その後天正13年(1585年) に筒井定次によって改修を受け、慶長16年(1611年)に徳川家康の命を負って藤堂高虎が拡張したが、大坂の陣によって、当時高虎が従属する家康に対立していた豊臣氏が滅んだため築城が中止され、本丸・二ノ丸などの主要部分は城代屋敷を除いて未完成のまま江戸時代を過ごした。 昭和42年(1967年)旧城域一帯が国の史跡に指定されている。城を含めた近隣一帯は上野公園として整備されており、松尾芭蕉を祀る俳聖殿および芭蕉翁記念館や伊賀流忍者博物館があり、伊賀上野の観光地として利用され、各種イベントなどが行われている。長年日本一といわれてきた藤堂高虎の高さ約30mの石垣や三重県立上野高等学校敷地内に手当蔵(武器庫)が現存し、米倉は博物館の一部として上野公園敷地内に移築現存する。現在、天守台にある3層3階の天守は昭和初期築の模擬天守で、正式には伊賀文化産業城という。
芭蕉翁記念館入口

芭蕉翁記念館

上野公園(伊賀上野城)内にある伊賀市立の松尾芭蕉に関する記念館。館内には芭蕉の展示品やグッズが売られている。



外観を見るだけ、入館はせず





朱塗りの鳥居が並ぶ城山稲荷神社

重要文化財 俳聖殿

*俳聖殿

上野公園内にある松尾芭蕉生誕300年を記念する木造建築物である。 1942年(昭和17年)に建築家伊東忠太の設計で建設された。外観は、川崎克の着想を元に伊東忠太が仕上げたものであり、松尾芭蕉の旅姿を模したものとされ、上層の屋根が笠、下部が顔、下層のひさしは蓑と衣姿、堂は脚部、回廊の柱は杖と脚を表している。下層八角形平面、上層円形平面の木造建築であり、屋根は桧皮葺である。内部には芭蕉祭当日に表彰される顕詠俳句特選句が飾られている。 芭蕉の命日である10月12日には、伊賀市により芭蕉祭が行われ、安置されている大伊賀焼の等身大の『芭蕉坐像』(川崎克の作)が公開されるほか、俳句の優秀作品等が表彰される。 2008年(平成20年)3月19日、三重県の有形文化財(建造物)に指定され、2010年(平成22年)には国の重要文化財に指定された。 

wikipediaより引用


俳聖殿の門、茅葺き屋根

天守閣へ向かいます。

天守閣が見えてきました。





城代役所跡





台所棟



小部屋群





長屋郡





台所門跡



柴小屋・米倉











天守前に来ました。


*天守台にある3層3階の天守は昭和初期築の模擬天守で、正式には伊賀文化産業城という。
昭和初期、伊賀上野選出の代議士、川崎克(1880−1949)が多くの支援者の協力を得ながら私財を投じて藤堂高虎が築いた城跡に再建したもの。昭和10年(1935年)完成。 
川崎克の純和風への強い要望により、同時期にコンクリート建築で再建された大坂城復興天守とは異なり、木造で瓦葺き、白漆喰塗籠の層塔型3層3階、高さ23mの大天守と、2層2階の小天守が建てられた。史的考証による設計はなされておらず、五層天守の天守台に三層天守を建てたために、天守台敷地の半分程度しか使用していない。 

wikipediaより引用