田丸城跡 三重県度会郡玉城町

令和6年(2024年)3月21日㈭ 撮影


田丸城本丸跡の石垣が見えてきました。


*この記事の続きです。










本丸虎口と門

案内板によると

本丸虎口と門

ここは、田丸城の本丸への入り口のひとつです。「虎口(小口)」と呼ばれる、道を折り曲げ的の侵入をはばむはたらきをする、城にとって重要な施設です。 平成15年度の発掘調査では、門の礎石や石段など、宝暦年間(18世紀中頃)をはさんで大きく2次期にわかれる遺構がみつかりました。門は17世紀には建てられていたようで、間口約6.2m、奥行き2.6mの大きさがあります。 遊歩道の整備にあたって、宝暦年間より古いとみられる遺構については切り石を、それ以降とみられる遺構については自然石を用いて表示しています。
本丸跡へ

天守台跡



本丸からの眺め

天守跡に登りました。





本丸から見た虎口、石垣に囲まれた通路は屈曲。

田丸城跡は桜の名所。開花期間中はライトアップされます。本丸跡では花見に向けて準備作業中、作業用のトラックが停まっています。



本丸門跡



二の丸跡から見た本丸門跡



北の丸跡に鎮座する城山稲荷神社





朱塗りの連立鳥居

小さな社殿





北の丸跡





説明板

門の礎石と石列について

 発掘調査では、宝暦年間(1751~1764)の古図にはみられない門の礎石や石列が発見された。これらは土層の状況から、宝暦年間より古い時代のものと考えられる。 平成14年度の整備事業では、宝暦年間囲碁の遺構を立体的に表示し、それより古い門の礎石は石列は切り石により平面的に表示している。

本丸虎口

説明板によると


田丸城跡本丸虎口について

 虎口とは場内の各郭への出入口のことである。 この場所は攻守の要となるので、石垣を築き通路を屈曲させるなど侵入する的に対する防御のため、さまざまな工夫をこらしている。 ここから続く通路は平成14年度田丸城跡遊歩道整備工事に伴う発掘調査で確認されたものである。石垣、門や建物の礎石、石組みの側溝と石垣があり、出土した瓦や土師器片などから江戸時代のものであると考えられる。 これらのうち、礎石建物や石垣は、左の宝暦年間(1751~176?)の古図に一致している。








二の丸虎口跡











搦め手の通路













田丸城搦め手口に出ました。左にはJR東海参宮線の線路

田丸駅へ向かいます。