
松坂城跡
三重県松阪市 松阪公園
令和6年(2024年)3月20日㈬ 春分の日㈷ 撮影
松坂城跡石垣沿いを歩くと鳥居が見えてきました。
*コチラの続き

本居宣長ノ宮(もとおりのりながのみや)
本居宣長を国学神として祀る神社。神社本庁が所管する松阪市殿町地域の神社で、学徳達成の神として信者が多い。松阪市殿町の松阪城付近に立地している。山地の高い地形の森に神社がある。(松坂発祥地の聖域の四五百の森)

拝殿

本居宣長ノ宮の先に鎮座する松阪神社
*松阪神社
創建の年代は不詳であるが、古くからこの地に鎮座し、国司の飯高氏が産土神として崇敬した。 天正16年(1588年)、蒲生氏郷が当社の森(意悲の森)に松坂城を築城して当社を城の鎮守とし、八幡神を合祀した。以降、江戸時代まで「御城八幡」と呼ばれていた。慶長元年、吉田重勝が松坂城を修補した際に、当社に宇迦之御魂命を合祀した。 明治初年、式内・意悲神社に比定され御城八幡から意悲神社に改称し、明治4年7月に郷社に列格した。1908年(明治41年)3月23日、近隣の17神社、33柱の神を合祀し、松阪神社に改称した。

社務所で頂いた御朱印

再び松坂城跡・松阪公園へ

二の丸跡
藤棚が設置

説明板には
この紫藤は愛知県海部郡鍋田村字森津にあり当時二百余年経たのを、市内中町脇田藤助翁が明治二十三年に株分け市に寄贈されたものである。 通算樹齢約三百数十年を数へ藤棚面積三四六平方メートル(一〇五坪)主幹周囲は五メートル開花期は四月下旬紫色花房が一メートル余り花の香り高く松阪の名木として市民に親しまれています。
松阪市


二の丸跡からの眺め

振り返ると藤棚

二の丸跡から見た御城番頭屋敷


本居宣長旧宅の前を通り過ぎ左上の本丸跡(上段)へ



本居宣長記念館・本居宣長旧宅、門の先は入館料が必要、今回は通り過ぎ

本丸跡(上段)へ向かいます。

中御門跡