明石城跡 

兵庫県明石市 明石公園

令和6年(2024年)3月13日㈬ 撮影



JR神戸線の明石駅ホームから見た明石城跡
明石駅駅を出ると目の前は中堀

*明石城

兵庫県明石市明石公園にあった城。旧明石藩の政庁と藩主の居所が置かれた。
1618年(元和4年) 、小笠原忠真により築城。1874年(明治7年) 廃城。
JR明石駅北側に位置し、駅ホームより間近に望める。縄張りは連郭梯郭混合式の平山城である。丘陵舌端に築かれ、本丸付近は柿本人麻呂を祀った人丸塚があったと言われており、この地は嘉吉の乱で激戦地となった。 明石の地は、山陽道が通り、北には丹波国、但馬国への道が分かれ、淡路島、四国のルートがあり、古来より交通の要衝であった。徳川幕府が西国の外様大名の抑えの城として、姫路城についで着目した。 現在中堀の内側は兵庫県立明石公園として整備されている。櫓や石垣は1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災で被害を受けたが全面修復された。2006年(平成18年)、日本100名城(58番)に選定。

wikipediaより引用
中堀を左方向に歩き

東入口から明石公園に入ります。

このあたり東不明門があったとのこと。

明石公園内には城跡に関する説明等は少ない。ここでも見当たらず
武蔵の庭園

奥に見えるのは坤櫓(左)と巽櫓(右)



日本100名城スタンプラリースタンプが設置されている明石公園サービスセンター



日本100名城スタンプラリースタンプを押しました。

明石城サービスセンターにて購入

御城印

城カード

坤櫓と巽櫓の建つ本丸へ向かいます。

重要文化財 巽櫓

本丸の南東端に築かれた3重櫓。現像する櫓は1628年(寛永5年)または1631年(寛永8年)に焼失後、再建。


二の丸石垣(右)、東の丸石垣(左)

本丸石垣と巽櫓



本丸・二の丸・東の丸へ向かう石段を登ります。

本丸石垣と巽櫓

二の丸石垣





二の丸石垣下には井戸がありました。

説明板には

松平直明公遺愛お茶の水 

八代城主、直明公在城中(一八六二〜一七〇一)日常この水を使用してお茶を点(た)てられた。 
明石城内でもっともよい水の出る井戸として昔から親しまれてきた。 

県立明石公園管理事務所 明石市教育委員会

井戸の近くには穴





二の丸石垣と東の丸石垣



門跡?説明板などは見当たらず

二の丸跡へ

二の丸跡から見た明石駅方面

二の丸跡



二の丸から見た巽櫓

本丸へ向かいます。





巽櫓の前に来ました。



本丸跡の遺跡

人丸塚

遺跡 人丸塚(ひとまるづか)

弘仁(こうにん)三年(八一二年)僧(そう)空海(くうかい)がここに楊柳寺(ようりゅうじ)を建てた。
仁和のころ(八八〇年のころ)住職(じゅうしょく)覚証(かくしょう)が柿本人麻呂公(かきのもとひとまろこう)の夢のおつげで人麿公を祀った 。
明石築城後は城の守り神として祀られてきた。

人丸塚から見た巽櫓

重要文化財 坤櫓(ひつじさるやぐら)

坤櫓は元和5年(元和5年)の明石城築城当時から現存する櫓。









本丸の四隅に巽櫓、坤櫓、乾櫓、艮櫓が建てられてた。現存するのは巽櫓。

画像は丑寅櫓跡(うしとらやぐらあと)












坤櫓の脇から本丸を出ました。





















正面入口から明石公園を出ました。



明石公園入口脇に建つ中部幾次郎(なかべいくじろう)像


*中部 幾次郎(1866年 - 1946)

明治から昭和初期(1900年代後半~1940年代前半)の実業家。播磨国明石郡(現・兵庫県明石市)出身。
林兼商店(後の大洋漁業、現在のマルハニチロの前身の一つ)創業者。貴族院勅選議員。

中堀