熊本城 

熊本県熊本市中央区

令和6年(2024 年)2月16日㈮ 撮影



桜の馬場城彩苑と天守閣



行幸坂









熊本地震(2016年)で被害を受けた飯田丸五階櫓は解体

熊本地震(2016年)では石垣が崩れた未申櫓(ひつじさるやぐら)







加藤神社へ向かう道、左に見える囲いは修復工事中の宇土櫓

熊本地震(2016年)の前にあった西大手門櫓・元太鼓櫓の説明板



震災化から8年、修復工事の進む道を歩き



元太鼓櫓跡



戌亥櫓跡





西大手櫓門跡









重要文化財 宇土櫓は2022年から2032年まで修復工事、囲いに覆われて見えません。
西出丸





加藤神社境内へ



加藤神社から見た天守閣



北大手櫓門跡









熊本城公園内 堅物台樹木園内にあった

重要文化財 監物櫓

の案内版、監物櫓は熊本地震の被害を受けて解体

監物台樹木園、この頃は休園中でした。

*監物台樹木園(けんもつだいじゅもくえん)

熊本県熊本市中央区にある植物園。熊本城の北端の監物櫓付近一帯に位置する。
明治時代から軍用地となり、熊本陸軍幼年学校の敷地にも利用されていたが、1949年(昭和24年)に熊本営林局用地となった。樹木園は1952年(昭和27年)11月8日に開園、九州森林管理局の所管であるため、様々な植物の研究も行っている。 名前の監物台の由来は熊本城主細川家家老職長岡監物が、熊本城北の守りとしてこの地を固めていたことからきている。ただし実際は当園の敷地は長岡図書の敷地であり、長岡監物の敷地と間違われて名づけられた。 熊本地震により被災した熊本城監物櫓の復旧工事を実施することから、2021年(令和3年)6月1日から休園していた。 2024年(令和6年)4月25日、約3年ぶりに一般公開を再開した。

wikipediaより引用


園内には森林鉄道用の762mm軌間ディーゼル機関車が保存。





熊本城二の丸広場へ

西南戦争籠城将校家族避難跡の石碑

西南戦争の際、熊本城に籠城した鎮台側の将校の妻子が 弾丸の飛来を避けるため、この空掘に天幕を張って避難した。 時は2月寒気の厳しい中で、司令長官谷少将の妻久万子を中心に 負傷者の手当てや慰問に努め、将校の信望を集めた。




宇土櫓と天守



熊本城公園二の丸広場

「神風連    加屋霽堅   斎藤求三郎 等戦死之跡」の石碑




神風連の乱

1876年(明治9年)に熊本区(現在の熊本市)で起こった、明治政府に対する士族反乱。敬神党の乱ともいう。
1876年10月24日に旧肥後藩の士族太田黒伴雄、加屋霽堅、斎藤求三郎ら約170名によって結成された「敬神党」により、廃刀令への反対運動として起こされた。この敬神党が反対派から「神風連」と戯称されていたため、神風連の乱の名がある。 

政府軍の熊本鎮台(熊本城内)を襲撃し、城内にいた兵士らを次々と殺害し、砲兵営を制圧した。 しかし翌朝になると、政府軍側では児玉源太郎ら将校が駆けつけ、その指揮下で態勢を立て直し、本格的な反撃を開始。加屋・斎藤らは銃撃を受け死亡。



日本100名城スタンプが設置されている二の丸券売所へ

日本100名スタンプラリースタンプ、熊本城のスタンプ設置場所は二の丸券売所、北口券売所、南口券売所、熊本城ミュージアムわくわく座

二の丸券売所にてスタンプを押しました。有料区域は一昨年11月に入園しているので今回はパス、チケットは購入しません。

2023年5月から(個人的に)集め始めた日本100名城スタンプ及び続日本100名城スタンプ、スタンプを押すためにこれまでに訪れた城も再訪しています。

今回の熊本城再訪もスタンプを押すためでした。

二の丸お休み処では

熊本城の御城印を販売

御城印と

2種類の城カードを購入

櫨方門、熊本地震(2016年)の被害により損傷



飯田丸五階櫓下石垣









熊本地震(2016年)の影響で崩壊した馬具櫓









加藤清正像