
惣宗寺
栃木県佐野市
令和6年(2024年)5月2日㈭ 撮影
佐野駅から歩くこと1.3km、佐野厄除け大師 摠見寺山門が見えてきました。
*惣宗寺(そうしゅうじ)
栃木県佐野市にある天台宗の寺院である。一般には佐野厄除け大師の通称で知られる。年末年始には関東地方を中心にテレビCMが多く放送されるため広く知られている。
開基(創立者)は藤原秀郷、開山(初代住職)は宥尊である。 青柳大師、川越大師と共に先代住職が「三大師」を提唱。以後定着し「関東の三大師」[2]の一つに数えられることが多く、毎年の正月には初詣の参拝客で賑わう。
天慶7年(944年) - 藤原秀郷が春日岡(今の佐野城址の地)に創建したものと伝わる。 慶長7年(1602年) - 佐野信吉によって現在地に移転する。
wikipediaより引用

佐野市指定文化財 惣宗寺山門

江戸時代初期の建築物とされる。

金銅(きんづくり)大梵鐘」は、 人間国宝香取正彦先生によって謹製され、日本一大きな金の梵鐘(つりがね)で、 直径 1.15メートル、重量約2トン、金銅(き

金銅(きんづくり)大梵鐘」は日本一大きな金の梵鐘(つりがね)、 直径 1.15メートル、重量約2トン


田中正造墓所
惣宗寺では大正2年(1913年)、 足尾鉱毒事件の解決に尽力した田中正造の本葬が行われた行う。

*田中 正造(1841年 - 1913年)
幕末から明治時代にかけての村名主、政治家。日本初の公害事件と言われる足尾鉱毒事件の重鎮であり、明治天皇に直訴しようとしたことで有名。衆議院議員選挙に当選6回。幼名は兼三郎。下野国安蘇郡小中村(現・栃木県佐野市小中町)出身。足尾銅山鉱毒事件の被害者でもあり、救済を政府に訴えた。



佐野市指定文化財 銅鐘

明暦4年(1658年)に寄進された銅鐘



本堂



奇跡 れいすい観音



惣宗寺境内の乾の地に鎮座する東照宮(佐野東照宮)
元和3年(1617年)3月 - 徳川家康の遺骸が日光へ移されるときに宿所とされた。文政11年(1829年)、幕命により造営完成された。
昭和・平成の解体修理工事完成 ― 本殿、拝殿、透塀、唐門 ―― 重要文化財(県指定) 徳川家康公のみ霊(たま)が静岡県久能山より日光遷座の途中、元和三年三月二十七日一泊、 この仏縁により諸大名の寄進にて本殿等の造営が成り、江戸中期を代表する華麗、精緻な技巧 によって完成された。 (昭和五十さ
七年八月二十七日付にて県指定重要文化財となる。)全国に祭祀されている東照宮社殿 四百余の中、最もすぐれた建造物と高く評価されている。 境内の乾(いぬい)の地に東照宮は造営されている。本殿の前面に拝殿、唐門を建立し、当時は更に 本地堂、水屋、等の建物も造営された由であるが、現存するものは前記の三棟と本殿周辺の透塀である。


栃木県指定重要文化財 東照宮拝殿

惣宗寺境内から見た 東照宮唐門 栃木県指定重要文化財

境内外の公道から見た東照宮唐門



佐野厄除け大師 惣宗寺で頂いた御朱印