キトラ古墳

奈良県高市郡明日香村 国営飛鳥歴史公園キトラ古墳周辺地区

令和5年(2023年)11月30日㈭ 撮影

近鉄吉野線壺阪山駅から歩いて0.7km近く、キトラ古墳はあと0.4km
キトラ古墳のある阿部山
国営飛鳥歴史公園キトラ古墳周辺地区に到着

国営飛鳥歴史公園キトラ古墳周辺地区、奥に見える丘上がキトラ古墳

*キトラ古墳

奈良県高市郡明日香村の南西部、阿部山に築かれた古墳。国の特別史跡。亀虎古墳の表記もある。墳丘にある石室内に壁画が発見され高松塚古墳と共に保存事業が進められている。 

 二段築成作りの円墳である。墳丘は小高い阿部山の南斜面に位置している。 円墳であり、四神を描いた壁画があるなど高松塚古墳との類似点がある。 名称の「キトラ(亀虎)」の由来は 入り口から内部を観察すると亀と虎の壁が見えることから。 古墳の南側の小字「北浦(きたうら)」が訛った。 古墳が明日香村阿部山集落の北西方向にあることから、四神で北を司る玄武(亀)と西を司る白虎(虎) から命名された。 などの説がある[1]。 現在ではカタカナ表記の「キトラ古墳」が多く使われている。
壁画などにみられる唐の文化的影響が高松塚古墳ほどには色濃くないことから、遣唐使が日本に帰国(704年)する以前の7世紀末から8世紀初め頃に作られた古墳であると見られている。 1983年に石室内の彩色壁画に玄武が発見され、高松塚古墳に次いで2例目となる大陸風壁画古墳として注目を集める。 1998年の探査で青龍、白虎、天文図が確認され、2001年には朱雀と十二支像が確認された。カビなどの被害が発生していたため壁画ははぎとられて保存されている。 2000年、国の史跡に指定され、同年11月24日には特別史跡に指定された。 2013年に石室の考古学的調査は終了したため石室は埋め戻されて墳丘の復元整備が行われている[3]。 2018年10月31日付けで壁画と出土品が国の重要文化財に指定され、2019年には壁画が国宝に指定された。
被葬者は誰が埋葬されているかは未だ判然としていない。 年代などから、天武天皇の皇子、もしくは側近の高官の可能性が高いと見られている。金象眼が出土したことから身分や地位の高い人物であるが[、銀装の金具が出土した高松塚古墳の埋葬者よりも身分や地位の低い人物が埋葬されていると推測される。

wikipediaより引用



坂を登り


キトラ古墳の墳丘が見えてきました。








キトラ古墳壁画体験館 四神の館 

2016年9月開館。同館の1階は文化庁キトラ古墳壁画保存管理施設となっており、地階には石室のレプリカ等の展示がある。

開館時間 9:30~17:00 (12月~2月は9:30~16:30) 

休館日 12月29日~1月3日 

入館料 無料 

9:30の開館直後に入館、訪問時の見学者は私ひとりでした。