岸和田城
大阪府岸和田市 千亀利公園
令和5年(2023年)11月29日㈬ 撮影
南海本線岸和田駅から1km、岸和田城天守が見えてきました。
岸和田城
大阪府岸和田市岸城町にあった城、別名千亀利城(ちきりじょう)。江戸時代には岸和田藩の藩庁が置かれた。本丸庭園は国の名勝、城跡は大阪府の史跡に指定されている。本丸および二の丸一帯の4.9haは千亀利公園として岸和田市が管理している。
15世紀後半に現在の岸和田城跡から約500m南東に山城が築城され(岸和田古城)、16世紀初頭頃に放棄されていた。 その後『日本城郭大系』によると信濃泰義によって現在地に移築されたとしている。 羽柴秀吉の紀州征伐の拠点として再築城され、その急ごしらえで造られていたものを、小出秀政が5重天守を上げる本格的な構えとした。松平康重の代に総構えと城下が整備され、岡部宣勝の頃、城の東側に2重、西側に1重の外堀と寺町が増築されている。文政10年(1827年)に天守を焼失。以降再建されないまま、明治4年(1871年)に廃城とされ、まもなく破却された。 岸和田城は猪伏山(いぶせやま)と呼ばれた小高い丘の上にあり、本丸と二の丸を合せた形が、機の縦糸を巻く器具「縢」(ちきり)に似ていることから蟄亀利城(後に千亀利城)と呼ばれるようになった。城内にある岸城神社は千亀利と「契り」とをかけて、縁結びの神社として知られている。
昭和18年 (1943年) 大阪府史跡に指定される 。昭和29年( 1954年 )現在の連結式望楼型3重の復興天守が再建される。 昭和44年 (1969年 )多門櫓・隅櫓、櫓門が復興再建される 平成4年 (1992年) 天守閣屋根の葺き替え、外壁塗り替えなどの改修工事が行
日本100名城の選定対象となるものの、検討の結果、選定されなかった。 2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(161番)に選定された。
wikipediaより引用