令和5年(2023年)10月12日㈭
「令和5年10月中旬の旅」を3日目は岩国市に来ました。
画像は宿泊した三原国際ホテルの部屋からの眺め、
画像は宿泊した三原国際ホテルの部屋からの眺め、三原国際ホテルの入居する複合ビル、ペアシティ三原西館の屋上
*この記事の続きです。
三原国際ホテルをチェックアウト、奥に見えるのはJR西日本の三原駅
ペアシティ三原原西館の外観
ペアシティ三原西館の裏側には堀と石垣
三原城の遺構です。
「三原城本丸中門跡」の石碑
「三原城臨海一番櫓址」の石碑
*三原城
備後国御調郡三原[(広島県三原市)にあった城。2017年(平成29年)、続日本100名城に選定された。
永禄10年(1567年)頃に、小早川隆景によって整備が始められたとされる。最盛期の構造は、天主台を北(陸側)に頂いた本丸、その東・西・南側に二の丸、そしてそれらの東側に三の丸と東築出、西側に西築出を設けた梯郭式の城であった。さらには海に向かって船入りを開いており、郭を隔てる縦横の堀の重なりも加わると、満潮時にはあたかも海に浮かんだように見えるところから浮城とも呼ばれている。
江戸時代には浅野家の広島藩の支城として幕末まで利用された。明治維新後、城地は政府が確保、明治27年(1894年)、山陽鉄道三原駅建設の際に、城地は駅用地に使用され、また石垣も糸崎港建設の用材として大部分が撤去された。 その後、東築出から馬ノ口の海側には、国道2号が敷設されることになり、これにより海からも遠く離れることになった。現在窺われる遺構としては、天主台とそれを取り巻く3方の堀、駅の南側の五番櫓と船入櫓の石垣および、本丸中門跡・臨海一番櫓跡の石垣・堀を残すのみである。 昭和50年(1975年)の山陽新幹線開業およびその後の三原駅高架化により、高架が本丸および天主台跡を貫いていることもあり、城地は寸断され、現在の姿になる。
wikipediaより引用
三原国際ホテルから163m、三原フェリーターミナルが入居する三原港湾ビル
三原駅へ向かいます。