諏訪原城跡

静岡県島田市

令和5年(2023年)12月14日㈭ 撮影

東海道本線金谷駅から牧之原台地の坂を上がり諏訪原城跡に到着

諏訪原城

遠江国榛原郡金谷(現在の静岡県島田市金谷)にあった戦国時代の日本の城(山城)。甲斐の武田氏が  
天正元年(1573年)
に築城。城内に諏訪大明神を祀ったことからこの名が付いたとされる。徳川氏時代の城名は牧野城。天正18年(1592年)廃城

現在は建築物は残っていないものの、堀・曲輪・馬出などの遺構がはっきりと残り、戦国時代の武田氏・徳川氏の築城様式を知る上で貴重なものとなっている。国の史跡に指定されている。 

遠江国の東端近くの牧之原台地の舌状台地の先端部に立地する。城のすぐ南を東海道が通り、東の金谷坂を下ると大井川をまたいで駿河国に入り、西の菊川坂を下ると小夜の中山を経由して掛川(現掛川市中心部)を中心としたやや広めの盆地部に出る。また、南に牧之原台地を下ると、菊川下流域の平野部に出る。 

武田軍が遠江(徳川領)攻略の出城として築城し、天正3年(1575年)には武田氏と徳川氏で戦いが繰り広げられたが、同年8月落城以降は徳川氏の城となる。 天正10年(1582年)甲州征伐で武田氏が滅亡すると牧野城の存在意義が薄れ、天正18年(1590年)に廃城となった。 明治維新を迎えると、元将軍の徳川慶喜が駿府に配されると慶喜を慕って随従した旧幕臣たちが、自活のために荒廃していた牧野城周辺に移住して開墾し主に茶畑とした。現在も城址一帯は茶畑となっているが、比較的保存状態が良く、大掛かりな堀や曲輪などが残っている。 昭和29年(1954年)城跡の一部が静岡県の史跡に指定、昭和50年(1975年)国の史跡に指定、 平成29年(2017年)、「続日本100名城」(146番)に選定された。
諏訪原城跡の入口に建つ諏訪原城ビジターセンター

まだ開館前でした

*諏訪原城ビジターセンター

開館時間 午前10時〜午後4時
 休館日 ・月曜日・
入館料 無料 

諏訪原城の資料やパネルを展示、続日本100名城設置

諏訪原城ビジターセンターの脇から諏訪原城跡へ


大手南外堀

大手南外堀



大手北外堀





二の曲輪中馬出の園路整備工事により一部立入禁止
番小屋



二の丸曲輪へ
二の曲輪北馬出
二の丸曲輪北馬出に建つのは、平成29年(2017年)に復元された徳川氏時代の城門、薬医門


二の丸曲輪北馬出からの眺め

薬医門
薬医門



二の曲輪


本曲輪へ

本曲輪

本曲輪からの眺め

右下には金谷駅、中央には大井川、左には富士山



二の曲輪大手馬出に鎮座する諏訪神社