今治城 愛媛県

愛媛県今治市

令和5年(2023年)9月8日㈮ 撮影

今治駅前から歩くこと約2km、今治城の堀と山里櫓が見えてきました。左奥に見えるのは武具櫓

二の丸西隅に建つ山里櫓は搦手(からめて)、裏口を守備する門。平成2年(1990年)に再建。

左は山里櫓、右は天守
*今治城

伊予国越智郡今治(四国・愛媛県今治市通町三丁目)にあった城。昭和28年(1953年)10月9日に愛媛県史跡に指定された。別称「吹揚城(吹上城)」。
 慶長9年(1604年)、藤堂高虎により築城開始。構造は、三重の堀に海水を引き入れた特異な構造で、当時は海から堀へ直接船で入ることができるなど海上交通の要所今治らしく海を最大限に活用した城となっている。日本三大水城の一つに数えられている。慶長14年(1609年)、高虎が伊勢国津城に移封となり、同時に天守は丹波国亀山城に移築されたと伝わる。高虎自身は移封されたが今治領2万石は飛び地として残り養子の高吉が居城した。 天正年間の天守は望楼型天守が主流であったが、構造上無理があることから、不安定で風や地震に弱く、必ず屋根裏の階ができるため使い勝手が悪かった[2]。 そのため、今治城では新たに層塔型天守を創建した。これは矩形の天守台を造成し、その上に規格化された部材を用いて全体を組み上げたもので、構造的な欠陥が解消されるばかりか、各階別に作事が可能なことから工期も短縮できた。以後、高虎がこの様式を江戸城をはじめとする城郭普請に採用したことで、高虎の新型天守は近世における天守建築の主流となった。 寛永12年(1635年)、高吉は伊賀国名張に移り、代わって伊勢国長島城より松平(久松)定房が入城し、以後、明治維新まで今治藩・久松松平氏の居城となった。広大な城郭は江戸260年間保たれたが、明治維新以後、廃城令施行前の明治2年(1869年)に廃城され、ほとんどの建築物が破却された。
現代 では石垣と内堀がほぼ江戸時代の姿を残している。 昭和55年(1980年)に5層6階の天守が鉄筋コンクリートで建てられた。平成18年(2006年)4月6日、日本100名城(79番)に選定された。 

wikipediaより引用

山里櫓高麗門、こちらからも城内に入れますが
まだ城内には入らず
今里櫓高麗門から見た天守
堀の外側を歩きます。
二の丸北隅の武具櫓、平成19年(2007年)再建
右から武具櫓、天守、山里櫓
左から、御金櫓、鉄御門、武具櫓、山里櫓

御金櫓、左奥に見えるのは吹揚神社社殿

昭和60年(1985年)に東隅櫓が御金櫓として再建された。外観は今治藩医の半井梧庵が残した写真をもとに復元されている。名称は今治城の古絵図において東隅櫓に御金蔵という蔵が併設されていたことに因る。

堀沿い、鉄御門近くの吹揚公園に建つ銅像

今治名誉市民 檜垣俊幸氏の像 

檜垣 俊幸氏は、日本の実業家。今治造船のグループ社主。 今治造船の社長、会長などを歴任し、2017年4月にグループ社主に就任。 今治造船を業界トップに押し上げる礎を築き、「中興の祖」と呼ばれている。

城内へ向かいます。

鉄御門(くろがねごもん)を潜ります。
鉄御門は平成19年(2007年)、可能な限り江戸時代の史実に基づき、鉄御門が石垣や多聞櫓5棟ともに復元された。




二の丸に建つ藤堂高虎のブロンズ像、平成16年(2004年)に建立

矢野七三郎

矢野 七三郎(1855年 - 1889年)

伊予国野間郡宮脇村(現在の愛媛県今治市大西町宮脇)出身の実業家。「伊予ネル」の創始者であり、「今治綿業の父」と呼ばれる。

 江戸時代の伊予国今治は綿花の栽培が盛んだったが、明治になると近畿地方や外国産の白木綿に押されて不振となっていた。七三郎は今治の製綿業の近代化を志し、1885年(明治18年)には和歌山に赴いて紀州ネルの製綿技術を学び、紀州ネルを改良して伊予ネルを生み出した。1886年(明治19年)には綿ネル工場の興修社(のちの興業舎)を設立した。七三郎は周辺の人々にも製造技術を公開したことから、今治地域には多数の織布工場が設立され、今治タオルに代表される織物産地となった。 1889年(明治22年)暴漢に殺害された。享年35..

今治城天守

昭和55年(1980年)に5層6階の天守が鉄筋コンクリートで建てられた。
今治城の再建天守は、当初の建築の実在について明確な資料が少ないため、史実に基づかない模擬天守である。 往時の天守は亀山城に移築されたと伝えられ、亀山城天守については明治初年に撮影された古写真や平面図が残されており、おおよその形状がわかっている。そのため、今治城天守の再建に際しては亀山城天守の外観を参考にしたとされているが、実際には亀山城天守が層塔型の構造で最上重の唐破風と入母屋破風のみであるのに対し、再建天守は望楼型の構造で大入母屋破風を基部としており、張り出しや出窓など亀山城にはない意匠が施されている。また、天守の位置も本丸の中央付近と推定されているが、本丸塁線上の二重櫓(北隅櫓)跡に建てられている。 最上階からは、しまなみ海道の来島海峡大橋が見えるなど、瀬戸内海を眺望することができる。

wikipediaより引用
天守に入ります。

観覧料 一般 個人 520円 


料金は天守、御金櫓、山里櫓、鉄御門・武具櫓の共通料金


開館時間 午前9時~午後5時 


休館日 12月29日〜31日のみ(定休日なし)