
大洲城
愛媛県大洲市 城山公園
令和5年(2023年)9月7日㈭ 撮影
伊予大洲駅から1.7km、大洲城跡の城山公園入口に到着、画像右は大洲城の遺構である下台所、左に見えるのは標高40mの城山に建つ大洲城天主
令和5年(2023年)9月7日㈭ 撮影
*大洲城(おおずじょう)
四国の伊予国喜多郡大洲(現・愛媛県大洲市大洲)にあった日本の城である。別名としては地蔵ヶ嶽城、比志城、大津城(大洲の旧称)などがある。
大洲の地は、伊予を南北につなぐ大洲街道・宇和島街道の結節点にあり、また東には四国山脈を抜けて土佐国に出る街道がある。また、すぐ西には大洲の外港とも言える八幡浜(現・八幡浜市)があり、大洲は歴史的にはやや鄙びた立地ながらも交通の要衝と言える場所にあった。伊予宇都宮氏が創建した当初は、肱川と久米川の合流点にあたる地蔵ヶ岳に築城したことから地蔵ヶ岳城と呼ばれた。 江戸時代初期、藤堂高虎らによって大規模に修築がなされ、近世城郭としての体裁を整えた。伊予大洲藩の政治と経済の中心地として城下町は繁栄していた。また、明治維新後から現在に至る地元住民の城郭への保護活動と、平成16年(2004年)に主に市民による寄付によって完成往時を忠実に復元した4重4階の天守も特筆すべき点である。江戸時代から残る台所櫓・南隅櫓など4棟の櫓が国の重要文化財、城跡一帯が県指定史跡に指定されている。
