令和5年(2023年)11月16日㈭

静岡県沼津市のJR東海道本線東海道本線原駅から歩くことは2.5km、興国寺城跡に来ました。左に見えるのは富士山

*この記事の続きです。

*興国寺城

静岡県沼津市根古屋(駿河国駿東郡阿野荘)にあった日本の城(平山城)。城跡は国の史跡に指定されている。興国寺城敷地内には穂見神社が存在する。
15世紀後期に築城された。長享元年(1487年)、今川氏の客将であった伊勢新九郎盛時(北条早雲)が、今川氏の家督争いでの活躍により富士下方十二郷を与えられ、興国寺城を本拠地としたとされている。戦国時代にこの城のある駿東郡の地は、今川・武田・北条各氏が奪い合った。 
慶長12年(1607年)3月に廃城となった。 平成7年(1995年)、国の史跡に指定された。沼津市根古屋にあり、現在復元工事が行われている。
平成29年(2017年)、「続日本100名城」(145番)に選定された。



ノボリが立つ道を歩きます。

平日の午前中、周囲には誰もいません。ときおり聞こえてくるは近くを走る東海道新幹線の通過音。

 興国寺城跡本丸北側の天守台下にある穂見神社


穂見神社境内には興国寺城跡の説明板と続日本100名城スタンプが設置

机の上に置かれた興国寺城の続日本100名城スタンプ、このスタンプを押すために興国寺城跡を訪れました。


今年5月から始めた「日本100名城スタンプ」及び「続日本100名城スタンプ」集め

今回はうまくスタンプを押せました。


続日本100名城スタンプ(22/100)
穂見神社社殿右には天野康景と北条早雲の石碑
天野 康景(1537−1613 )

戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。徳川氏の家臣。駿河国興国寺藩主。
慶長6年(1601年)徳川氏創業の功臣として興国寺城の城主となり[興国寺藩が立藩するも、康景は領内の問題で責めを負いその裁定に不満を募らせて出奔。そのため興国寺藩は改易となり、慶長12年(1607年)に興国寺城は廃城となった。
穂見神社の背後には天守台



天守台へ向かう坂はちょっと登りづらい、滑らないように


空堀
眼下には先ほど歩いた興国寺城通りが見えます。
天守台跡




再び坂を降ります。と
天守台石垣
 

富士山は雲に覆われてきました。
興国寺跡近くの化粧品店では興国寺城の御城印を販売

一枚購入しました。
再び2.5km歩いて原駅へ
原駅〜興国寺城跡の往復5km、さすがに疲れました。駅周辺を歩く気力もなく

わかりづらいですが画像左には雲に覆わた富士山がちょっとだけ見えます。
上り東海道本線

430M   原1259発 熱海行き

は313系3両編成、車内は満席、沼津(1307発)まで座れませんでした。

沼津から先も車内は満席、静岡地区の在来線はJR東海に冷遇されていますな。
終点の熱海1326着、平日でも熱海駅構内は大勢の観光客
熱海から先はJR東日本

1876E  熱海1335発   上野東京ライン 高崎行き

E231系10両編成

1356着の小田原で下車
今週も所要で小田原通い

先ほど訪れた興国寺城の城主であった北条早雲の像が駅前にあります。

小田原城天守閣
所要を終えると日が暮れていました。


2858T   小田原1850発 湘南新宿ライン 籠原行き

1931着の大船で下車

大船からは根岸線に乗り帰途に