五稜郭跡

北海道函館駅前

令和5年(2023年)7月13日に㈭ 撮影

五稜郭(ごりょうかく)

江戸時代末期に江戸幕府が蝦夷地の箱館(現在の北海道函館市)郊外に築造した稜堡式の城郭である。
箱館開港時に函館山の麓に置かれた箱館奉行所の移転先として築造された。しかし、1866年(慶応2年)の完成からわずか2年後に江戸幕府が崩壊。短期間箱館府が使用した後、箱館戦争で榎本武揚率いる旧幕府軍に占領され、その本拠となった。明治に入ると郭内の建物は兵糧庫1棟を除いて解体され、陸軍の練兵場として使用された。その後、1914年(大正3年)から五稜郭公園として一般開放され、以来、函館を代表する観光地となっている。 現在残る星形の遺構から外側100~350メートルには、北と北西を除いて外郭の土塁がかつて存在したが、現在では国有保安林となっている箇所以外、面影は失われている。


左に見える木造橋は一の橋

一の橋を渡り左には半月堡


半月堡(はんげつほ)

五稜郭の正面入口を防御するための出塁、背後に見えるのは五稜郭タワー


半月堡から見た一の橋
半月堡から見た二の橋


二の橋を渡り
函館奉行所へ
函館奉行所

五稜郭と同じく1元治元年(1864年)築、明治4年(1871年)解体

平成22(2010)年に木造復元

入館料500円ですが今回は外観のみ撮影
函館戦争で使用された大砲

左がブラッケリー砲、旧幕府軍が使用、  

右がクルップ砲、新政府軍が使用



兵糧庫

箱館奉行所が築造された時代から残る唯一の建造物。

板庫・土蔵 

奉行所復元と同時に、兵糧庫の北側にあった市立博物館五稜郭分館を解体し、板庫(いたくら)と土蔵を復元している。板庫は売店および休憩所、土蔵は管理事務所に使用されている。