令和5年(2023年)3月16日㈭


「令和5年3月中旬の旅」は亀山に来ました。

今春2回目の青春18きっぷ使用、上り大和路線(関西本線)に乗車、JR難波〜加茂〜亀山と乗り継ぎ

*この記事の続きです。 



亀山は乗換えで利用することが多い亀山、改札の外に出るのは6年ぶり

*2017年8月、亀山で下車


亀山駅前には、Kitto terrace(キット テラス)」なるネームの再開発ビルが2022年10月に完成、図書館・商業施設・分譲マンションが入居する複合施設

Kitto terraceに入居する亀山市立図書館は亀山公園から移転、2023年1月26日開館

再開発により整備された駅前には銅像がありました。


今年1月に建てられた「ヤマトタケル・オトタチバナヒメ」の銅像
以下は銅像台座の碑文より引用

日本武尊(やまとたけるのみこと)は、「古事記」「日本書紀」に記された英雄で、父である第12代景行天皇の命を受け西へ東へと転戦し、過酷な旅のすえ大和への帰路伊勢国能褒野(現在の亀山市田村町)で力尽き亡くなったその地に墓が築かれたとされています。 日本武尊の妻弟橘媛(おとたちばなひめ)は、忍山神宮(現在の忍山神社)の祀官忍山宿禰(おしやまのすくね)のむすめとしてこの地で生まれ、日本武尊の旅に付き従い馳水(はしりみず)の海を渡る際、荒れ狂う波を鎮めるために海に身を投げ、日本武尊の命を救ったとされています。 いにしえより二人の永遠の愛の物語が今なお語り継がれる亀山の地は日本武尊と弟橘媛に由縁の深い地です。 


ここ亀山は日本武命ゆかりの地とは知りませんでした。
亀山駅から徒歩数分、旧国道1号線を跨ぐ陸橋、亀山新橋も新しくなっていました。


新しい亀山新橋は昨年10月から供与開始

亀山新橋を渡り坂道を登ると亀山城の遺構、多門櫓が見えてきました。6年ぶりの訪問
 
*伊勢亀山城

文永2年(1265年)築城 、江戸時代は伊勢亀山藩主の居城となった。明治6年(1873年)に廃城、現在ではゆる廃城令によって、天守台・多聞櫓・石垣・堀・土塁など一部が残る。

wikipediaより引用
多門櫓の下にはまだ開花前の桜の木、訪れるのは数週間早かったか


多門櫓が近くに来ました。



亀山城多門櫓の公開は土休日、残念ながら平日には見れません。

亀山城の御城印は近くの衣料品店「しほりや」で販売とのことですが

定休日は木曜日!この日は3月16日㈭

残念ながら御城印は購入できませんでした。

内部は見学できませんでしたが多門櫓には近寄れます。

多門櫓脇から見た亀山駅方面、駅前の再開発ビル、Kitto terraceが見えます。


多門櫓の向かいにある亀山公園には蒸気機関車

C58 359が保存展示されています。
コチラも6年ぶりの撮影

亀山公園から500m程先の商店街

「しほりや」は定休日、シャッターが閉ざされています。次に亀山を訪れるのは木曜日以外に使用

再び亀山駅へ、JR東海関西本線に乗り名古屋へ向かいます。