長尾寺 香川県さぬき市

令和5(2023)年2月16日 撮影

ことでん長尾線の長尾駅から歩くこと数分、長尾寺の境内が見えてきました。

四国八十八箇所霊場の第八十七番札所
:日本三大名門の1つという。寛文10年(1670年)建立の山門、三つ棟木という珍しい工法。

wikipediaによると「日本三大名門」の1つとされていますが?あと2つの門は?検索しても答えが出てきません。

山門前の左右には重要文化財の経幢(きょうどう)二基、右の経幢は弘安9年(1286年)の建立、左の経幢は弘安6年(1283年)の建立

山門の前、覆屋の中に二基の経幢が置かれている。弘安九年(1286)銘山門の前、覆屋の中に二基の経




説明板

経幢は中国で唐から宋時代に流行したもので、わが国では鎌倉中期ごろからつくられ経文を埋納保存する施設、あるいは供養の標識として各地に建てられるようになった。
二基の経幢は覆屋に囲まれています。

右の経幢 弘安9年(1286年)の建立
左の経幢は弘安6年(1283年)の建立
長尾寺の境内に入ります。左は本堂、右は太子堂
太子堂

本堂

静御前 剃髪塚(ていはつづか)

お地蔵さんの横の石塔が剃髪塚
*静御前(しずかごぜん、生没年不詳)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の女性白拍子。母は白拍子の磯禅師。源義経の妾

 香川県東かがわ市には次のような言い伝えがある。愛児を殺され、生きる望みを失った静は自殺を考えたが、母磯野を伴っていたため、それもかなわなかった。文治3年8月、母の故郷である讃岐国入野郷小磯(現・東かがわ市小磯)へ母と共に帰り、文治4年3月、讃岐国井閇郷高木(現・香川県木田郡三木町井戸高木)にある長尾寺において宥意和尚から得度を受けた。剃髪後、母は磯野尼、静は宥心尼とそれぞれ名を改め、薬師庵において信仰の日々を送るようになった。後年、母磯野尼は長尾寺への参詣の帰り、井戸川の畔で寒さと老衰のため倒れ、69歳で亡くなり、まもなく静も母の後を追うように建久3年3月、義経に逢うことなく24歳の短い生涯を閉じた。長尾寺には静親子が剃髪したときに使用したとされる剃刀を埋めた剃髪塚がある。

wikipediaより引用


長尾寺の境内にある長尾天満宮



納経所


御朱印を頂きました。