令和4年(2022年)10月27日㈭



「鉄道開業150記念 JR東日本パス」を使用する旅の最終日、3日目の朝は秋田から

秋田駅近くの千秋公園に来ました。

千秋公園内にある彌高神社(いやたかじんじゃ)を参拝

千秋公園は久保田城跡

*久保田城(くぼたじょう)

羽後国(旧出羽国)秋田郡久保田、現在の秋田県秋田市千秋公園近辺にあった城郭。史跡指定はされていないが、「千秋公園(久保田城跡)」として秋田市指定名勝に指定されている,
御 久保田藩主佐竹氏の居城である。矢留城、葛根城とも呼ばれている。名勝としての指定名称は「千秋公園(久保田城跡)」であり、「久保田城」が使われている。 雄物川の支流である旭川の左岸、程野村窪田にある神明山(しんめいやま、標高40メートル)に築かれた平山城。石垣は基底部に僅かにあるのみでその上に土塁を盛られており(鉢巻土手)、天守も持たず塁上に「出し御書院」(だしおしょいん)または「御出書院」(おだししょいん)と呼ばれる櫓座敷を建ててその代わりとし、他に8棟の櫓を建て並べていた。石垣が無いのは幕府に遠慮したためと言われるが、佐竹氏の旧領常陸国を含む東国ではもともと石垣を用いない築城法が一般的であったため、石垣作りに精通した者が家中に居なかったという説もある(但し後に江戸城の修築を命じられた時、佐竹氏は石垣の普請も担当している。いずれにせよ、山川沼沢を巧みに利用し防御を図っており、水堀や円郭式城郭など西国の様式も採り入れられている。なお、天守については寛永10年(1633年)の火災以前には「御三階櫓」があったという説があるが、この時期の城内を描いた絵図などは残されておらず、確証は得られていない。 1880年(明治13年)の大火で城内の建造物はほぼ焼失しており、市街再建の過程で堀の多くも埋め立てられ、城下の中通を中心に秋田県初期の官庁街へと変貌した。現在、久保田城本丸・二の丸一帯は千秋公園となり、三の丸にはあきた芸術劇場ミルハスや秋田市立中央図書館明徳館、秋田市文化創造館、平野政吉美術館、秋田県立循環器・脳脊髄センターなどが整備されている。秋田県知事公舎は三の丸御殿の跡地に建てられている。 城郭に関する建造物としては、前述の大火を逃れ、かつ解体も移築もされなかった御物頭御番所(おものがしらごばんしょ)が現存し、市の有形文化財(建造物)に指定されている。また本丸新兵隅櫓(御隅櫓)、本丸表門が再建されている。

wikipediaより引用
御隅櫓の前は木に覆われて近づくまでよく見えません。
久保田城御隅櫓の観覧料は 一般:100円

久保田城には御城印がないので入館しませんでした。
久保田城本丸跡

久保田城本丸跡に建つ佐竹義堯像 

佐竹最後の藩主、佐竹義堯の銅像 

佐竹義堯は久保田藩最後の藩主


千秋公園内、久保田城本丸跡に建つ八幡秋田神社
平成13(2001)年に再建された久保田城表門


表門の脇には

秋田市文化財 御物頭御番所(おものがしらごばんしょ)

説明板によると御物頭御番所は久保田城内で旧位置のまま残っている唯一の建築物

左は表門、右が御物頭御番所

御物頭御番所の中も見学可能


千秋公園を後にして秋田駅へ