令和4年(2022年)9月1日㈭


9月最初の日は京都から

宿泊した地下鉄五条駅近く、スーパーホテル京都・烏丸五条を出発

この日の天気予報は朝から☂ですが、出発時は曇り空 
東山の方向へ向かいます。

通りがかった寺の門前にある石碑には

「長宗我部盛親公瘞首之地」と刻まれた石碑
下京区富小路通六条上る本塩竈町にある蓮光寺

「長宗我部盛親公瘞首之地」とは?

「瘞首」とは?読み方がわからん、検索すると

読みは「えいしゅ」

「瘞」、読みは「エイ」、意味は うずめる。埋葬する。 墓。墳墓

とのことでした。

*長宗我部 盛親(1575〜1615)は、安土桃山時代から江戸時代前期の土佐国の大名・武将。長宗我部氏第22代当主。長宗我部元親の四男。戦国大名としての長宗我部氏の最後の当主。

関ヶ原の戦いで西軍に属すが、敗色濃厚と見て戦わず帰国し、徳川氏に謝意を表した。しかし、帰国直後に重臣たちが浦戸一揆を起こしたことをとがめられ、領国を没収され浪人となった。のち豊臣側から故郷の土佐一国の贈与を条件に旧臣と共に大坂城に入城、大坂の陣が勃発し、戦闘に参加したが敗北。再起を図るため、逃亡したが捕らえられた後、処刑された。

wikipediaより引用
長宗我部盛親は大阪夏の陣の後、京都六条河原にて処刑、首か蓮光寺に葬られました。

 
見落としそうな小さな川は高瀬川



鴨川に架かる七条大橋を渡ります。

七条大橋の上から見た鴨川

七条大橋を渡ると東山区、川岸にある京阪の七条駅は地下駅

京阪電車には乗らず

東山区に入ると雨が降ってきました。
豊国神社へ向かいます。

豊国神社の門前にある耳塚(鼻塚)

豊臣秀吉の朝鮮出兵(1592〜1598)にて戦攻の証として討ち取った敵兵の耳や鼻を削ぎ持ち帰ったものを葬った塚、盛土の上に五輪塔が建っています。

豊国神社の門前に来ました。


豊国神社は、京都市東山区にある神社。豊臣秀吉を祀る。豊臣家滅亡とともに徳川家康の命により廃絶となったが、のちに明治天皇の勅命により再興された。現在の敷地の大部分は、かつて京の大仏を安置する方広寺の寺領であったが、明治新政府により収公され、最終的に豊国神社境内となった 。

豊臣秀吉の墓所である豊国廟は豊国神社から約1km 先にある阿弥陀ヶ峰の山頂


各地にある豊国神社、この2週間前には名古屋の豊国神社にも行きました。



境内の豊臣秀吉像

平日の朝9時前、境内には参拝者の姿はほとんど見当たらず、
国宝の唐門

伏見城から移築されたと伝わります。

唐門を撮影している途中、雨が強くなってきました。


豊国神社の隣りにある方広寺へ

鐘楼には屋根がある。雨が強くなったのでしばしば雨宿りします。

方広寺の 梵鐘は、重要文化財のいわゆる「国家安康」の鐘

方広寺の鐘は重要文化財

豊臣氏が滅亡した大坂の陣の発端となった方広寺鐘銘事件 の鐘です。

鐘銘文の「国家安康」の2句が、家康の名を「家」と「康」に分断して家康を呪詛しているのではないかとされ、大阪冬の陣となったとのこと

このような歴史のある鐘の前で雨宿りをしてよいのであろうか?
国家安康の銘鐘



方広寺本堂、

雨が弱まってきたので再び豊国神社へ

豊国神社の御朱印を頂きました。