令和3年(2021年)8月10日㈫



長崎電気軌道電車が一日乗り放題

電車一日乗車券   500円

を使用する長崎市内巡りは大学病院停留所で下車

約600m歩き


昭和20(1945)年8月9日、長崎市への原爆投下の爆風により、鳥居の半分が吹き飛んだまま現在も片側だけで立ち続ける

山王神社の一本柱鳥居

右半分の一本柱の姿

この日は長崎原爆の日(8月9日)の翌日、一本柱鳥居の前では撮影している人達が数人
一本柱鳥居の奥には倒壊した左半分の鳥居

この場所は爆心地から約800m

説明板には被爆前の写真
山王神社境内には
 山王神社の大クス

原爆の熱線により枯れ木同然となりながらも蘇生した「被爆クスノキ」
山王神社の大クスの説明板
山王神社から500m離れた坂本国際墓地へ

長崎市内が管理する国際墓地
入り口脇には

長崎市名誉市民永井隆之墓


永井 隆(ながい たかし、1908年〈明治41年〉2月3日 - 1951年〈昭和26年〉5月1日)は、日本の医学博士、随筆家。『長崎の鐘』や『この子を残して』等の著書がある。  

Wikipediaより飲用
坂本国際墓地に隣接する新坂本国際墓地には

長崎市指定史跡    グラバー家墓地

トーマス・ブレーク・グラバー(英: Thomas Blake Glover、1838年6月6日 - 1911年12月16日)は、スコットランド出身の商人。トマス・ブレイク・グローバーとも表記。 トーマス・

武器商人として幕末の日本で活躍した。日本で商業鉄道が開始されるよりも前に蒸気機関車の試走を行い、長崎に西洋式ドックを建設し造船の街としての礎を築くなど、日本の近代化に大きな役割を果たした。 維新後も日本に留まり、高島炭鉱の経営を行った。造船・採炭・製茶貿易業を通して、日本の近代化に貢献。国産ビールの育ての親。

Wikipediaより飲用

ひと様のお墓を撮影するのは多少気が引けますが┅

坂本国際墓地は長崎観光ガイドにも掲載、このような説明板も設置されていることから

撮影してもよい、と解釈しました。

坂本国際墓地から大学病院停留所は900m
再び電車に乗車

1系統   大学病院1230発   赤迫行き

車両は360形363

昭和36(1961)年製、車体には不動産業業である長崎ログのラッピング


わずか2分の乗車、1232着の平和公園で下車


この頃の情勢

*神奈川は4月20日からまん延防止重点措置適用、8月2日からは3回目の緊急事態宣言

東京都は6月20日から(3回目の)緊急事態宣言からまん延防止重点措置に移行、7月12日から再度(4回目)の緊急事態宣言発令

首都圏1都3県は「不要不急の外出自粛」、「都道府県を跨ぐ移動の自粛」が要請されていました。

まん延防止等重点措置の下での遠出、よって記事タイトルは「令和3年8月上旬の旅」ではなく「令和3年8月上旬の不要不急」とします