
12月30日(水)
1日フリーきっぷを使用する天竜浜名湖鉄道の旅
掛川~天竜二俣~新所原と全線乗車、新所原での滞在時間は20分、折りかえし列車に乗車
130 新所原1203発 掛川行き
TH2113 SUZUKI KATANAのラッピング車
9年ぶりの天竜浜名湖鉄道乗車https://ameblo.jp/week7rx/entry-11231349714.html

側面の窓にまでラッピング

再び浜名湖を眺めて

金指では


改札を出て駅の外へ
駅舎を撮影

給水塔

西鹿島~二俣本町 天竜川を渡り

1440着の二俣本町で下車

二俣本町はホームが地堤上に位置する1面1線の無人駅

二俣本町は無人駅
駅舎内には小さな宿泊施設がありました。

駅を出て二俣城址へ向かいます。
駅周辺は浜松市天竜区(旧天竜市)の中心地

城跡へは坂道

二俣城趾
観光パンフレットによると
二俣城跡
天竜川と二俣川に挟まれた中性城郭として名高く、武田信玄・勝頼親子と徳川家康がこの城を巡って激しい攻防を繰り広げました。また、家康の長男信康が悲劇の切腹をとげた城として知られ、後に、信康供養のため家康が二俣城北東には信康をまつった廟があります。
二俣の地は、山間部と平野部の結接点にあたる交通上の要衝で、信州の道と三河への道、遠州各地の道の分岐点に位置しています。そのため、軍事・政治,経済的に重要な位置にありました。
二俣城は、天竜川と旧二俣川で三方を囲まれた丘陵の上に設けられ、北側から南側に外局輪・北曲輪・本丸・蔵屋敷・南曲輪が配置されています。
城郭の基本的な姿は、今川氏や徳川氏によって形づくられたとみられますが、石垣や天守は、豊臣の勢力下にある堀尾氏の領有時代(1590~1600)に築かれたものと考えられます。
天竜区二俣まちあるきマップ 編集 二俣未來まちづくり協議会
とのこと

天守跡
宮脇俊三氏の著書 「徳川家康歴史紀行5000キロ」講談社文庫
の作中に記された二俣城跡
この本を読んでいつか訪れたいと思っていました。