二俣城跡
天竜川と二俣川に挟まれた中性城郭として名高く、武田信玄・勝頼親子と徳川家康がこの城を巡って激しい攻防を繰り広げました。また、家康の長男信康が悲劇の切腹をとげた城として知られ、後に、信康供養のため家康が二俣城北東には信康をまつった廟があります。
二俣の地は、山間部と平野部の結接点にあたる交通上の要衝で、信州の道と三河への道、遠州各地の道の分岐点に位置しています。そのため、軍事・政治,経済的に重要な位置にありました。
二俣城は、天竜川と旧二俣川で三方を囲まれた丘陵の上に設けられ、北側から南側に外局輪・北曲輪・本丸・蔵屋敷・南曲輪が配置されています。
城郭の基本的な姿は、今川氏や徳川氏によって形づくられたとみられますが、石垣や天守は、豊臣の勢力下にある堀尾氏の領有時代(1590~1600)に築かれたものと考えられます。
天竜区二俣まちあるきマップ 編集 二俣未來まちづくり協議会
から引用
ほとんど人影のない天守趾
大河ドラマで徳川家康がテーマの時期はここにも観光客が押し寄せたのであろうか?






清瀧寺の入口近くにはレトロな建物が
本田宗一郎ものづくり伝承館
本田宗一郎は、明治39(1906)年、静岡県磐田郡光明村(現浜松市天竜区)に生まれました。
本田宗一郎ものづくり伝承館では、天竜に生まれ育った本田宗一郎の人となりやものづくりの精神を伝える展示公開事業を行っています。
この建物は昭和11年、二俣町役場として建設され、昭和45年まで天竜市役所として活用されていました。市庁舎移転後も公民館・図書館として市民に愛され続け、平成15年に登録有形文化財として文化庁に登録されました。平成22年にスクラッチタイル張りの外観を保存しながら改修され、現在の姿になっています。
休館日 月曜火曜 年末年始
観覧料 無料
天竜区二俣まちあるきマップ 編集 二俣未來まちづくり協議会
から引用
この日は12月30日、年末年始の休館日でした。
