
2月15日(水)
上熊本で熊本電鉄の乗り鉄を終えてようやくこの日の「フリータイム(」(笑)。
すでに時刻は17時過ぎ、日が傾いています。
上熊本駅から歩くこと20分、加藤清正の菩提寺である本妙寺仁王門の前に到着。
大正8(1919)年建立、鉄筋コンクリート製の仁王門。

仁王門の先は長い参道、冬の平日の日暮れ時、人影はまったく見当たりません。

長い参道を歩き、本妙寺大本堂の前へ、現在の大本堂は西南戦争で焼失した後、明治27年に再建されたもの。

大本堂の先にある高台に続く176段の石段、この上が加藤清正の墓所である浄池廟所。
聞こえてくるのはノラネコとカラスの鳴き声。あいかわらず人影は見当たらず、

陽が暮れ始め、周囲は薄暗くなってきました。
石段の中央に長々と並ぶ石灯籠、
あまりゆっくりしたくない雰囲気…
足早に石段を昇ります。

振り返れば眼下には熊本の街並み。

石段ではだれひとりすれ違うことなく、浄池廟の門前に到着。

浄池廟拝殿、その奥にあるのが


加藤清正が眠る浄池廟本殿。
以下は 本殿前の説明板を引用
浄池廟
加藤清正は、天正十六(1588)肥後半国の領主として入部し、近世熊本の基礎を築き、慶長十六(1621)六月二十四日熊本城中でなくなった。遺言により、熊本城にて相対し且つ自身の深く帰依した日真上人の隠棲の草庵に近いこの地に葬って、浄池廟と称した。
元和二(1616)には本妙寺もこの廟守護のため、熊本城内から移転してきた。
浄池廟は、正面に清正の木像を安置している。その真下に清正が葬られており、この建物全体が清正の墓である。
明治政府の廃仏毀釈の際、廟は撤去されて長岡護美筆になる墓碑が建てられたが、明治十七年廟は再建され、墓碑は廟の背背に移されて今日に至っている。

浄池廟参拝後、長い石段を下り来た道を引き返します。
再び上熊本へ。