

10月11(火)
横浜から東海道本線、山陽本線、赤穂線の普通・快速列車を乗り継ぎ播州赤穂に着いたのは16時過ぎ、日没まで赤穂の街を歩きます。
播州赤穂駅をあとにして、赤穂城跡へ向かう道を歩きます。
その途上にある「息継ぎ井戸」と呼ばれる井戸。
井戸の傍らにある案内板によると、
元禄14(1701)年、江戸城において浅野長矩が吉良上野介に切りつける刀傷事件が発生、その報を伝えるべく江戸からの使者2名が早駕籠に乗り4日間かけて赤穂城に向かいました。
赤穂城下に入った使者2名がこの井戸で水を飲み、一息ついて赤穂城へ向かったとのこと。
当時の江戸~赤穂は急いで4日!
300年後の旅人である私は、交通費をケチリ半日かけて赤穂にやって来ました。


浅野家の菩提樹であり、赤穂義士ゆかりの寺である花岳寺。
門前に着いたときは、すでに拝観時間が終了していました。
画像は赤穂市指定文化財である山門、明治時代に移されたかつての赤穂城西惣門。
住宅地の間を抜けて先に進みます。


城下町は由緒ある寺が多い、赤穂城下にある大蓮寺、この寺の山門も赤穂市指定文化財。

赤穂城跡に到着。
平地の敵が攻めやすそうな城、
築城されたのは江戸初期の慶安元年(1648)年、戦国時代のような城をつくれば江戸幕府からにらまれたのでしょう。

狭い壕に架かる橋を渡り城内へ、石垣の間を進みます。


赤穂市指定文化財 近藤源八宅長屋
18世紀以降の建築との事。その向かいには


大石邸長屋門。赤穂城内にあった大石家の邸宅の遺構。

300年前、大石内蔵助もこの門をくぐりました。