それにしても有馬記念は堅い決着でした。私の予想はカスリもしませんでした。

先週の京都への旅では、「乗り鉄」と「観光」、この二つが両立するかがテーマでした。

私が全国鉄道完全乗車を目指して旅をしていた頃(今もしている)、朝から日没まで列車に乗り、行き止まりの終着駅に到着。改札を出てその10分後の折り返し列車に乗って来た道を戻る。その繰り返しでした。
多くの全国鉄道完乗を目指してる方々も同じようなパターンと思われますが。

しかし日本の鉄道をほぼ乗り尽くし、もはや行くべき場所も目的もなくなってきました。

2006年に沖縄のモノレール「ゆいレール」に乗るため那覇市を訪れました。
「ゆいレール」は全線12.9km、乗車時間が27分、これが沖縄県の乗り鉄のすべてです。
もちろん朝から晩まで乗り鉄することはありません。首里城見学や那覇市街を見物しました。沖縄の文化を私なりに堪能しました。

しかし「何かが物足りない」そう感じました。
やはり私は「鉄道の旅」が好きである、それに気付きました。翌日羽田空港に着き、3日ぶりに本土の鉄道(京急)に乗った時に、懐かしさと嬉しさを感じました(おおげさ)。

そしてこれ以降は全国の名所、無名の史跡を訪ねて、以前に乗った路線に再訪する。このような旅をするようになりました。いわゆる「乗り鉄至上主義からの脱却」を目指します。

「日が出ているうちに車窓を楽しみたい」→しかし「せっかく遠くに来たのだからこの場所は見ておきたい」→「この場所は駅から遠い、明るいうちにこの路線に乗れなくなる、あきらめよう」、このような事が旅のパターンでした。

そこで折衷案、すなわち妥協の産物を考えました。

事前に調べて駅から徒歩圏内の観光地やみどころを探す。「乗り鉄」に影響しない範囲で訪問する「駅前観光」、「駅近観光」をするようになりました。
当然駅から歩いて行けない場所は基本的にスルーです。
以前の終着駅から改札を出てい折り返し10分後の列車に乗って戻る、そのような事はやめて次発の列車に乗車しその間に駅周辺を探索するようにしました。


私の前回の京都の旅のように、その路線の起点と終点の観光地を訪ねるのが基本。途中駅の観光地は時間の余裕がない限り訪問はあきらめます。
すなわち嵐電乗り鉄の際は、終着駅の北野白梅町から行ける金閣寺は訪れましたが、途中下車して訪ねなければならない広隆寺や仁和寺の訪問はあきらめました。

長々と書きましたが要は「線路際依存性」ということです。

そのうち乗り鉄向けの駅前駅近観光地について延べてみたいと思います。


しかし吾ながらつまらん文である。