中島美嘉よりも圧倒的な歌唱力。しかし、やはり上手いだけでは難しいなという印象を受けた。ひきつけるものが圧倒的に違う。そこが中島美嘉が圧倒的な存在感を示しているという理由を証明した面において、このカバー曲はすごい。堂本剛、福山雅治あたりだったら、独自解釈により、違う魅力をひきだせたかもとちょっと考えました。
これまた聴きなおしたら凝ってますね。SMAPがブルース。

「夜空ノムコウ」で前後期にわけてみると、前期はJ-POP全開で好きなんですが、後期は聴き込むと味が出てくる再発見の楽しみがありますね。
まるでオザケン「今夜はブギーバック」のようだというのが第一の印象。まさにヒップホップの地殻変動であり、ここには発祥の地からのインスピレーションはない。あるのは内からのヴァイブレーション。
重厚な打ち込みとアナログ感で厳かで静謐なバックトラック。
ポップ&シンプルサウンドと、ポップネスの光るソング・オクシデンタル。
楽曲がフォークにボーカルがブルースを行き来していて心地よい。
フランシス・ベーコンは、人間を縛り付けるものを「イドラ」と名づけた。
4つに分類される、種族・洞窟・市場・劇場とある。これはたとえば、仏教唯識論の阿頼耶識や、フロイトの無意識の発見、ラカンの想像・現実・象徴の界隈の発見に通ずる。


だが、劇場のイドラは、両義的にとれる部分がある。人間の精神を縛り付けるのか、
否、解放させるものなのか。それはカントの純粋理性批判の問題でもあったはずだ。


劇場のイドラを言い換える表現で、帰納法という考えも提言している。
人間は直感的に物事を推察する。
たとえば、クーンのパラダイム理論は、そこに依拠している。
まずはベースに基本となる知識があって、そこから仮説が突如生み出されるということ。

ベーコンは、この方法をweb(蜘蛛の巣)に例えている。さまざまなところから情報を集め、それを結合、加工していくこと。情報圧力に抗する態度である。


ベーコンの時代、ヴェストファーレン条約もある。国家を超える宗教的権威に失墜。
経済的大局的見地によると、農業革命から産業革命までの休憩期間で、重商主義前期の重金主義。国家がひたすら金を蓄積するという経済政策。グローバル化、東インド会社の出てくるまでまだまだ時間があった。
しかし、科学分野でブルーノの宇宙論が出てきたりする。これは大きい。

要は、選択肢の問題。サルトルのアンガージュマン。彼は、政治的コミットだけでなく、生活の細部にわたるまで、我々は、アンガージュしていると。米を食べるのも、蕎麦を食べるのも実存をかけたアンガージュマンなのだと。ベーコンの帰納法は、そこにつながると考える。

マージー・ビート風の甘いコーラスラインとCocteau Twins を
彷彿とさせるサマーヒップホップ。
The La'sからR&Bを抜きとったと言えばよいのだろうか。
薩摩、東京、メンフィスを横断する彼女。

分裂分析的地図作成的なインターフェースを紡ぎ、
メトロポップを歌い、ブルースを歌い、レゲエを歌う。

一時居住していた福岡仕込みの、モツ煮込み。その華奢な体にも関わらず、
胃もたれをおこさぬ。

レゲエ/スカ/ダブを基調にどこまでもPOPな感触を失わない。

一昔前に流行った喫茶ミュージックっぽくもあり、歌詞はピチカートファイブっぽくも
ある。

そのふくよかなメロディと、圧倒的なヴォ―カリゼーション。

これを聴かずして日本の四季は乗り切れぬ。
とても逞しく骨太でハードコアでありながら、ホントにPOPなギターサウンド

そのPOPをものすごくエキサイティングなものにしている。

複数の粗いギターとストリングスもいれてくる。

しかし、どこかアメリカンルーツ、特にフォークを基点に、
そこにエレクトロニカを導入。

でFatboySlym REMIXのグルーブ感を出している。


ロカビリーのような、エルヴィス・プレスリーのような、
スラング使いまくりで、オルタナティブ。
吉幾三「おら東京さいぐだ」の現代リメイク。

m-flo loves系だけあって、聴き応え十分。

アレンジ、トラックもカッコいい。

もう少し、遊び心を忍ばせてほしかった。