森田童子(もりたどうじ)。

 

ネットサーフィンをしていて偶然見つけた女性シンガー・ソングライター。

1952年。東京都出身。1975年に「さよならぼくのともだち」でデビューした女性シンガー・ソングライター。

カーリーヘアーとサングラス。一見、ミッシェル・ポルナレフのようないで立ちが特徴的ですが、その素性はほとんど明らかになっていません。

 

森田童子は、芸名で友人の死去をきっかけに歌い始めたというが…それも事実かどうか明らかにされていません。

 

活動歴は、1975年から1984年の9年間。アルバム7枚、シングル4枚をリリースし、1984年の新宿ロフトでのライブを最後に音楽活動を休止しますが、その後は専業主婦として生活していたといいます。

 

レコードジャケットはもちろんコンサートなどでも素顔を見せることはなく、活動休止後も出身地や生年月日、家族構成などの個人情報を明かすことも少なかったため、時代が流れるにつれ、彼女は忘れ去られた(という表現が良いのかわかりませんが)シンガーとなっていました。もしかしたら一部のファンや彼女の世界観を好むアーティスト、ミュージシャンの間では、歌や表現、思想が受け継がれてきていたのかもしれませんが、メディアに名前が出ることはほとんどありませんでした。

 

が、2023年11月にサブスクリクションが解禁になり、再び注目を集めることになったりました。

 

カーリーヘアーとサングラスからどんな音が流れてくるのだろうと思って1曲目の「ぼくたち失敗」を再生したら…。

 

最初の音で一気に昭和40年代にタイムスリップ。

マイナー調のピアノ。ちょっとリバーブのかかったささやくように歌う声。

 

「ストーブ代わりの電熱器」「地下のジャズ喫茶」

 

色褪せた昭和40年代のアパート、新宿の裏路地が見えてきます。

 

次の「ぼくと観光バスに乗ってみませんか」は、つま弾くフォークギターのアルペジオは、瓶に閉じ込められていた当時の空気を放出したかのよう。

 

続く「さよならぼくのともだち」。

これがデビュー曲ですが、切迫した気持ちが伝わってきます。

歌詞はクスリがまわって、捕まって、死んでしまって…。

実話だとしたらと思うとちょっと…なかなかナイーブな歌詞です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

森田童子は、素性が明らかになっていない、ということでしたが、2021年の12月に発刊された「なかにし礼」著作の「血の歌」にて森田童子は1953年1月15日生まれで、なかにし礼の姪っ子(兄の娘)であると公表されました。

 

せわしないリズムやビートが主流の現代ですが、ときどきこの森田童子のような意味深い歌詞、ワンセンテンスで“絵”が浮かんでくる曲に耳を傾けるのも貴重な時間かと思います。

 

あの頃って、これくらい時間がゆっくり流れていたよなぁ、としみじみ思うのでした。

 

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