豊岡の鞄職人衆との出会い〜その2 | 匠の固鞄通信

豊岡の鞄職人衆との出会い〜その2

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『匠乃革トランク』サイト

【豊岡へ】

 そんな取引をやっていた頃、入居しているビル、神戸ファッションマート
 にあるファッション資料室の方から、神戸大丸百貨店の方を紹介され
 ました。今では遥かお偉いさんになられ東京本部付けで東京へ行かれまし
 たが、神戸店におられる時は、兵庫県物産展などへも出させて頂き、
 お世話になったのでした。

 後日、その方からの連絡で、「神戸新聞の方が主宰されている産業情報化
 の勉強会で、地場産業である豊岡の鞄工業の勉強会があるが、メンバーが
 県の工業課や百貨店の鞄売り場、大学の先生やソフト開発会社とかで、
 鞄の専門家がいないから一緒に行ってくれないか?」とお声かけいただき
 ました。

 それまで鞄作りは神戸の工場で行ない、なかなか本格的な豊岡の工場まで
 は行けてなかったため、チャンスとばかり「ぜひご一緒させて下さい」と
 いうことで、豊岡の鞄産業についての勉強会へ参加する事となりました。
 
 

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 2002年3月、まだ山の頂きに雪が残った豊岡の地場産センターへ到着しま
 した。実はこの研修旅行には職場の経費で「カニを食べる」という裏か表か
 分らない目的があったのでした。

 豊岡は兵庫県の日本海側、今日ととの県境にほど近い場所にあります。
 城崎温泉や近くには温泉町などもあり、一帯は冬のシーズンになると「カニ」
 と湯煙目当ての旅行客が溢れます。

 そんな中、豊岡は市内中心を流れる円山川で採れる行李柳(コリヤナギ)で
 奈良時代から柳行李が作られていました。正倉院に収められています。

 当時、柳行李は鎧兜を仕舞うケースや、衣料などの片付け、旅行などの荷物
 を入れるケースとして、関西始め関東などにも販路が作られていました。

 明治に入り、海外から洋風の鞄やトランクが入りだすと、それを模して手提
 げケースや柳行李にベルトを巻いて把手を付けたトランクが作られ始めます。

 そんな柳行李のケースが、全国に張り巡らされた柳行李販売網で広がって
 いき、その結果が鞄産地豊岡なのです。

 大正時代、豊岡の地で初めて本格的な革トランクが作られます。これを作った
 のが「匠乃革トランク」を作って下さっている工場の初代社長。今の社長の
 お祖父さんでした。

 この事は、地元の産業史にも書かれており、この工場は代々固い鞄(ケース)
 を主力にし、新しい技術導入などで地元の鞄産業界でも常にリーダー的な
 役割を果たしてきました。

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『匠乃革トランク』サイト

 豊岡の地場産センターで、一行(20数名)を待っていて下さったのは、当時
 豊岡鞄工業組合の会長をされていた植村美千男会長で、「匠乃革トランク」
 を作って下さる工場の会長(前社長)、豊岡で初めて革トランクを作られた
 方の息子さんでした。

 午前中は豊岡鞄産業の歴史、その後、市内の主要工場の見学という事で3件
 の工場を案内してもらいました。

 さすがは地場産業です。国内大手のバッグメーカーのブランドが沢山作られて
 います。中には海外の有名ブランドのモノもあります。ただ、ブランド名や
 メーカー名を表に出せないのが下請け工場の辛さです。

 そんな中、見学に訪れたうちの1件は、会長の会社、「匠乃革トランク」
 を作っている工場でした。

 この工場は「箱もの」と呼ばれるケースが主力で、例えば選挙の投票箱、
 ジュラルミンケース、大きな物だとトマホークミサイル輸送用ケースなど
 モノを運ぶ箱状のもの一切が作られていました。

 途中ショウルームで革のトランクを発見しました。
 すると一緒に行っていた方が「このトランクが欲しい」と言います。

 そこにあったのはカタログで「A-Type」と表示している、飾りっ気のない
 シンプルなトランクでした。

 会長「これは、ドイツのプッシュ式の錠前があったので(ゼロハリバートン
 に使われている物と同じ)、出来るだけ表面に何も飾りっ気のないトランク
 を作ろうと思って製作してみたものです」と説明くださいました。

 プッシュボタンを押して蓋を開けると、蓋を閉める時に最後、ふわっと空気
 をはらんでスーッと閉っていくんです。
 これは、本体内部の木枠とそれに捲いた革が馴染み、まるで桐箪笥を閉め
 る時に他の引出しがフッと押し出される感じで、空気がゆっくり抜けるから
 なのです。

 一同「ほ~っ!」と感嘆の声をあげました。

 私はただ、これまで十数年見続けてきたイタリアの鞄工場を思い出しながら、
 「ようやく探していた鞄が見つかった!」と思っていました。

 イタリアの工場でもなかなか革トランクを見かける事がなく、今こうして
 目の前にたくさんの革トランク、古い日焼けした物や引出しのついた家具の
 ような物、カッチリしたアタッシュケースなどのトランクを見て、探し物
 が見つかった気がしていたのです。

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 夜は久美浜温泉の旅館で、会長や数名の鞄工場の社長と一行で懇親会です。
 山盛りのカニに舌鼓うちながら、鞄作りの事、これまで苦労した歴史など
 をお話しくださいました。

 「昭和30年代から輸出が増えて、次々にいろんな問題が出てきた。国内向
 けでは問題なかった接着剤が、南洋を越える船の中でノリが溶けて鞄が
 バラバラになったりして、その度に、新しい接着剤を研究したり」

 「ケースは持ち上げたり落としたり、いろんな状況考えて強度計算して構造
 を考えないと、輸送中に壊れたら意味がないから」という話に「建築物と
 同じですね」と一緒に行かれていた大阪大学大学院の先生が鞄設計の奥深さ
 に感心していました。

 そんな感じで夜はふけていきました。

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 そして翌週、さっそくにこの工場へ連絡をして一人で豊岡へ出掛けました。
 ここから私の「革トランク」人生が始まったのです。


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 今回は、豊岡の工場に出会ったきっかけをお話ししました。
 
 後日、会長が「難しいのは糊だ。新しいのがどんどん出てくるで。糊も
 何十年経つとどうなるか見んならんけど、なかなかそうはいかんでまだまだ
 勉強中」と笑って話されたのが印象的でした。

 昔からある革トランクですが、今でも新しい技術、新しい素材、新しい部品
 を研究し、進化続けているのです。

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