駅を下りると、目の前が東京医科歯科大学だった。

ここは、私にとって忘れられない場所。
私が小学2年生のとき、6つ上の姉がここで亡くなった。
ここは父の母校。
難しい病気だった姉は、そのツテで、福島の病院からここに転院していたのだった。
ある日の朝、姉が危篤だという連絡があり、
私と2番目の姉、そして父の3人で東京へ。
当時はまだ新幹線がなく、
特急で3時間かけて上野へ行くと、
親戚の人が待っていて、
タクシーでここへ来た。
そのとき姉は、もう亡くなっていた。
以来、この病院には足を踏み入れていない。
病院は、裏手に大きなビルが建っていたが、
手前の建物は、昔と何も変わらなかった。
記憶が蘇る。
あの場所で私は、
担架に乗せられた姉の遺体が運ばれていくのをじっと見ていた。
毛布からのぞいた、裸足の足の裏が揺れていた。
あれからもう40年が過ぎた。
私は、姉のぶんまで生きなければならなかった。
だけど、
ほんとに姉のぶんまで生きているだろうか。
そう自分に問いただすと、
心の奥が、苦しくうずいた。