二週間前の日曜日、横浜へ用があり出かけた折、
山手の外国人墓地の一部がたまたま公開されていましたので、
見学させていただきました。
江戸幕末から今日に至るまで、縁あって日本に滞在、
多くはこの地でなくなった方が眠る場所。
生麦事件で亡くなった二人の英国人の墓碑もありますが、
其処は入れないところで残念。
関東大震災で、校舎が崩れたため建物の下敷きとなり、
身動きが取れないまま、他の人達に
まかれないように私をおいて早く逃げろと言い、
炎の中でなくなったという
フェリス女子大学の校長の墓は、
本当に小さなお墓でした。
当然墓誌に刻まれたお亡くなりになられた日付は、
1923年9月1日です。
功なり名を遂げた方の立派な墓も多く、
遺族の思いのこもった墓碑銘の刻まれた大きな墓も多い中で
(私は、立派なお墓も素晴らしいと思います)
本当に小さな質素なお墓でした。
お墓の周りを歩いて墓碑銘を見ていると、生きていることに
謙虚な気持ちになります。
その後、近代文学館の渋沢龍彦展へ。
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秋葉原は、前にこのブログで、御茶ノ水から九段下へ、
で書いた様に、中学生から高校のころは頻繁に、
帰り道、御茶ノ水駅で降りて歩いて行った町です。
主な目的はオーディオ電気製品、細かい機械部品の購入、
そして輸入レコードを買うためでした。
もっと本格的な人たちは、自分でラジオや、アンプスピーカーを
組み立てるために、ラジオ会館や秋葉原中の店をめぐっていましたから、
機械好き、音楽好きの集まる知的な町だったと思います。
もう10年以上前でしょうか。
だんだんと狭くなる、石丸電気の輸入レコード売り場
ではありましたが、高音質と呼ばれるレコードや
クラシックをはじめLPレコードも
まだ在庫されており、石丸電気本館と、馴染みオーディィオ屋
などにはでかけていました。が、その頃には、
そのクラシックやロック、ジャズのハイエンドレコード売り場の隣に
タレント○○○サンの水着サイン会整理券は、何日何時から
なんていうポスターが貼られてあって、
なんか雰囲気変わっちゃったな、
でも経営が厳しいなら仕方が無いかと思ってました。
そんな頃に、レコードを買うため階段を上っていた私が
ちょっとめまいがして立ち止まったら、後ろからドンと押され、
早く行けとなじられました。
当然私も言い返しましたが、相手は無言で、
自分行きたい売り場の方向へ行ってしまいました。
階段が混んでいたわけでもなく、その人お目当ての
○○サイン会なんかも無いようだったのにね。。。。
そのころまでは、ある分野に詳しい知識や実績を持つ
人のことは、『通』と称していたのに
それが、全てオタクという言葉に一元化されてしまったのも
このころかなのかなあ。
テレビゲームや仮想空間ならば
自分の思い通りにリセット、やり直し、消去が出来るの
かもしれないけれど、
自分の前を歩いている人が邪魔だからと
突き飛ばして目に入らないようにしたところで、
自分の視界が開けるのは一瞬、また
他のジャマモノが現れる。。。
仕事でも日々競争相手や敵が出てくる。。。
ゲームみたいに誰が敵で味方なのかは分からないし、
リセットボタンも無いのが現実、だからいつも苦労するし、
いやでもそれを乗り越えないと心の底からの快感はこない、はず、
なのが、どんなにエライと思われている人でも、
それが当たり前の日常なのに、
あまりにも閉塞感が強かったこの国のシステムの反動か
朝から晩まで一年中面白可笑しいいことが中心
であるかのような世の中にしてしまったツケを
これからもこういう形で
払い続けなければならないとしたら大変なことです。。。。
優しい人も多いと思いますが。