いきなり引用させていただく。
What Comes Next? 次に何がくるか? Problem 問題 What comes next in the following sequence: . . . 59, 53, 47, ? . 次の数列では、次の項(?)に何がくるだろうか?:・・・59, 53, 47, ? . Solution 解答 Possible answers: 41 and 43. 可能な答は:41と43。 If the sequence is arithmetic, the constant difference is 6, and the next term is 41. もしその数列が算数的なきまりになっているとすると、差が6で一定になっているので、次にくる数は41となります。 If the sequence is considered t...続きを読む
実はこれ、日英混淆文に「見える」が、「続きを読む」と対訳式で書かれていたことに気づく。失礼ながら、「見え」から咄嗟に思いついたことを述べさせていただく。
自分が理解できていてまず使えると思えるものと、なんとか存在に触れてはいるが、よくわかっていないと思えるもの。たとえば母国語と外国語。こういう白と黒、○と×を同じ土俵でぶつける勇気というか、つき合わせて遊ぶ遊び心というか、そういうものがもっとあっていい。いや許されていいのではないかと思う。
体系には遊びを許さないものがある。そこを行儀良く遊べるようになれば、数学と国語の連環、連動などは、当然のように受容できるだろう。但し、「すべて言葉、すべて勉強だ」などという、「身も蓋もない一般化」にだけは警戒を要するのだが。かつ、似て非なるものは似て非なるものであるという釘を、決して抜かないように。抜いて見せるのは良いが、正しく打ち直しが効くようにすること。釘抜きと金槌の両方が必携である、ということだ。
近いところで、ダジャレは誰もが遊んでいる。オジンギャクとか言われて、笑おうにも笑えない、ダジャレとさえ言えない、ただ音を掛け合わせただけのものでも、実は効能がある。シャレて見せよう、掛け合わせて見せよう、重ねて見せようという魂胆は、実は全方位学習を駆動するエンジンに近いところにあるもののような気がしている。
「子豚が空を飛んでいる。これがほんとのヘリコブター(林家さんぺい師匠)」
シャレは、意味的には全く関係のないものを、音が同じということだけで、つなぎ合わせてしまう。
一見、なんの役にも立たない。良くできていれば受ける。それだけのことだ。だが、これはどうも全方位学習法の根幹にも繋がることのように思えている。ずっと思っているのだが、理論にはほど遠く、ロジックもなおざりだ。
まったく論理的な連環も、整合性もとれていないが、とりもとりあえず書き付けておく。
数楽者先生が、最近エントリされている日英混淆文による数学問題文 の効果のおおもとにも、きっといま書き付けたようなことが深く関連しているはずだと思えるので。
尊敬する英語学者の一人である宮崎尊先生が注目されている、pidgin English、日本語で?言えば、ちゃんぽん英語の「威力」にも同じエンジンが動いていると思われる。あらためて触れたい。(なお、尊先生のpiding Englishの話を枕にした英語についてのエッセイはTHE SONG GOSE ONのページ からダウンロードできる)。
数楽者先生の試みは、英語で数学を学ぶという、最近少しずつ試みられ始めている堅実な方法論に基づかれての事だと思う。
それを確認もせず、こういうコメントをさせていただくことをご寛恕願いたい。また、英語で数学を学ぶことにも、ここで述べたことは無関係ではない。
掛ける×はmultiplyであり、乗法はmultiplicationであり、英語ではn×mをn times m つまり 「n 回の m」と言うのであり、割るとは、divideであり、分数はfractionであり、ということを知るだけでも、自分がやっている操作の行為としての意味、イメージがひらけることはあるのだ。割り算と分数は、実は別物であることが、英語では一目瞭然であったりする。
これは英語ペラペラになろうという昨今の英語熱?とは全く別物である。思考と言語の関係というテーマだ。で、このテーマはチャンポンな状態であればあるほど、冴えるのである。