21世紀の健康社会を創造する -158ページ目

農学部の弥生講堂・一条ホールに出かけました。

雨が降っています。JR三鷹駅も節電しているので暗いです。
午後から農学部の弥生講堂・一条ホールに出かけました。
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ここのホールは、木の建築です。一条工務店が作りました。珍しいです。
NPO日本メディカルライター協会の総会と講演会がありました。

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今城望先生の「プレゼンテーション入門」は、WIN:WINを築くビジネスプレゼンテーションスキルを身につけようと言う事で定義は「WINの関係で明確な目的を持って聴き手に分かりやすく情報を提供し、聴き手がそれを理解し賛成し行動する。そして利益につながる」ことを力説しました。

熊沢啓三先生は「リスクコミニュケーション概論」で枝野官房長官の高いアンサーパーソン能力とイレッサ問題を風評被害の一種としてケースを紹介しました。そして、P.Fドラッカーの考え方を取入れ外資系コンサルタントにいたと思わせる分析を披露しました。

岩田誠先生は、有名な神経内科医で「言葉の誕生と介護のはじまり」という演題でした。これはチンパンジー、ヒト、ネアンデルタール人を比較しながら「言葉なら過去を語ることも、未来を述べることも出来ます。言葉に支えられた未来を見つめる眼差しの中に、careがあるのだ」と主張しました。
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ついでに雨のペンシルロケット撮りました。これは初の発射が上ではなく水平だったことを知る人はどれだけいるかな。最初のペンシルロケットは直径1.8センチ、全長23センチの極小さなロケットでした。構造もモデルロケットと似ていて固体の燃料を積んでいます。言ってしまえばロケット花火であります。ちっぽけなロケットではあっても、日本の宇宙開発の歴史はここからはじまります。ペンシルロケットというと必ずペアで名前が出てくるのが、「ロケット博士」こと、東京大学の糸川英夫先生です。
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悪いから「雨のおおすみ」も撮りました。
日本最初の人工衛星打上げ成功は1970年2月11日のことでした。
衛星は打上げ地から名前をとり「おおすみ」と名付けられ、テレビによる中継が行われ、日本中を興奮の渦にまきこみました。
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晴れて日本は独力で人工衛星を打上げた4番目の国になりました。
わずか3ヶ月後には中国も人工衛星「東方紅」の打上げに成功しています。今や日本を追い抜いて世界第2位の国になりました。

貴重な参考文献を総合図書館でコピーしました。収穫は大きい。
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帰りは、農学部の奥に入りドバー海峡にかかる橋を渡り工学部の宇宙工学科の脇を出て帰りました。