ヒムロック(氷室京介)がツアー中に突如ライブの引退宣言をした件をニュースで知った。
私としては、「いよいよ来たな」と言った感じで、実はこの事は少々予想がついていた。
実は、先方は雲の上の人になってしまったが、ヒムロックがBOOWYの2枚目を出した位だったか、ある学園祭のイベントで一緒にライブをしてから、短い期間ですが交流をしていた事があり、3枚目の成功で、大スターになってしまったので私の事など記憶にもないと思うけど、ヒムロックの凄い事と言うか、当時印象が有った事は、新宿のロフト(勿論旧ロフト)のステージを指さし「俺はここから、ヒットチャートを狙っているんだと」と宣言していて、それから数年もしないうちに、ビックスターになった事を今でも記憶している。
今でも、私の記憶に大きく残り、宣言したことをやってのけてしまった偉大な人と思っている。
で、BOOWY時代は結構ライブを見せて貰いましたが、ソロになってからは見た事がなく、ソロはWOWOWなどで見た程度、しかし、BOOWYの後半からソロに至るまで、結構限界を通り越した歌を歌っていた印象があり、ロフト時代や、ヒットした寸前(武道館当たり)までは、いい意味で唄えていたけど、その後はかなり無理をしていたのではないかと思っている。
で、以前に仕事の場の後輩に、ヒムロック自体ビジュアルにある程度の自信もあり、唄い方にも無理があるし、若いうちにライブ活動は止めるだろうと言っていた事があり、それが的中と言うか・・・・
ま、仕方がないとは思うね。
歌手は歌を完璧に歌って何ぼの商売、多分動きも含めて90%のヒムロックも出せなくなったのではないか・・・・・
布袋君をミュージック職人と言えば、ヒムロックはクリエーターと言うべきかな・・・
BOOWYの解散の原因にもその辺が含まれていると思うね。
ヒムロックって、私たちのような年齢の若い子には凄く優しかったし、当時から奥さんを本当に愛していたしね。
布袋さんは、本当に音楽人間で、BOOWYのOFFの時も、音楽活動をしていないとダメな人だったな、ヒムロックはOFFの時は家族と居る人だったしな・・・
それが、段々、BOOWYの人気とともに、ふたりの思想が重ならなくなったんだろう。
ま、しかし、布袋さんも、やはり「ヒムロック」の事を認めているし、布袋さんにとっても大切な人だったんだし、解散の頃の事は忘れてと言うか許して、ラストになるライブ位は一緒に数曲やれば良いのにな・・
ヒムロックだって、布袋さん、松井さん、まこちゃんがいなければ、今の成功は無いんだし、それは布袋さんだって他のメンバーだって同じだと思うね。
そんな4人が笑顔で顔を揃えている所をファンだけではなく、昔の音楽仲間も見たいんではないかな・・・
特に平野さんとか・・・・
しかし、今回のライブ引退宣言は、「彼らしい」と思う宣言でしたね。