御代替りを言祝ぐ大嘗祭と阿波忌部開催 | WEBマーケティング屋のブログ

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2019年7月14日(大嘗祭が開催される11月14,15日の4か月前)に御代替りを言祝ぐ大嘗祭と阿波忌部開催しました。

 

 

前回の5名から今回総勢25名の有志のスタッフの方々と共に創る事ができ、多数の参加者とともに素晴らしい1日になりました。

 

開催前に運営メンバーにて

 

第1部は林先生基調講演

 

「天皇即位と大嘗祭と阿波忌部」をテーマに大嘗祭についての内容と意義を解説頂きました。

・皇位継承儀礼の1つで、天皇陛下が即位して最初の新嘗祭のこと
・大嘗祭とは、天皇霊(大王霊)と一体となる儀式
・大嘗祭が整備されたのは天武・持統天皇の時代

 

新嘗祭について
・稲の収穫を祝い翌年の豊穣を祈願する祭事
・収穫された新穀(稲穂)を神前に献上し、感謝の念を捧げ、
これを神(自然)からの贈りものとして食する儀式
・11月23日「勤労感謝の日」は本来、新嘗祭の日
・旧暦で冬至の日が新嘗祭。冬至の日に忌み籠り、新穀を
天神地祇・神(自然)に献じ、神と食して生命の甦りを図った。
・天岩屋戸神話はこの象徴

 

「大嘗祭の意義」
日本は建国以来、一度も王朝が断絶したことのない尊い国
・3世紀ころから21世紀まで途切れることなく歴史が継承されている。それは世界の奇跡

初代は神武天皇、魏志倭人伝では卑弥呼と言われ、天皇陛下が交替するたび日本の起源となる歴史を再生し
現代に甦えらせる役目を果たしている。いわば、日本国が辿ってきた歴史記憶の再確認作業

 

林先生から、大嘗祭を知る事でこれからの時代の生き方のヒントについてを教えて頂き、
これからのバーチャルの加速により、失われた心の渇きや日本の心が求められる時代になると想定し

新時代は
「精神の満足度を求める時代」

「本質と本物を求める時代」

「日本の原点を見つめる時代(原点回帰)」

いつの時代も原点を見つめて新しい時代を迎える事が大切。それによって未来を創る。
その原点を見つめるにあたってのヒントになるのが大嘗祭

林先生の話の特徴としては

実際に現地に行って調べての経験を基に話をされているので
本を読んで理解のレベルではなく、言葉に重みがあるなと感じ、知るだけではなく知った後の
生活(生き方)に触れる事で興味を持つきっかけと自分に置き換えて何かプラスになる事のヒントを得られるのがいいなと。

 

 


 

(林先生と忌部文化研究所特任講師、松前さん対談)

阿波忌部が行っていた傾斜地農業を基に
農業の視点から


林先生が、阿波忌部傾斜地農業を世界農業遺産認定に向けて動いたかというと
忌部の農法が、農業の叡智を集めたものであり、歴史的に伝統を守るというのが原点にあった。

そして世界農業遺産の一部としても機能している事を皆さんに知って頂きたいとのことで
こちらのHPにて詳細を確認する事が出来ます。
http://www.awa-nougyoisan.jp/

 

現代に紐解くと「地方創生事業」の大本として展開したのが阿波忌部族であり、阿波忌部族が行っていた古代農法を知り、それが数千年もの間、伝統が絶えずに続き、継承されていた農法を知り、行う事が次の時代への新たな気づき、そして文化を継承し守り続ける大切さを知る事は阿波忌部を学ぶ事につながる。

 

阿波忌部農法の特徴としては
「21世紀をリードする、自然循環型の、生物多用性を保障する、健康志向の農産物を栽培する最先端の伝統農業」と林先生は位置づけられ

 

従来の
・古い、貧しい、非効率、前近代的な遅れた山間部の農業から
限界集落化を防ぎ、豊かな日本国家創生の原点となる【ソラ世界】の最興を目指したい。

 

ソラ世界においては、徳島剣山系の多種多様な傾斜地農業において
標高、傾斜度、日照量、気候、地勢、地質に応じ作物を栽培し、適地適作農業を営んでいるのが剣山系における傾斜地農業の最大の特徴である。

 

 

また、忌部が何故徳島の山奥から日本全国に開拓できたかというと、そこには山の中にヒントがあると林先生は仰られます。
徳島の剣山系には日本最大の地すべり地帯、及び破砕帯が走るため、畑地や棚田を容易に作ることができ、涵養林さえ残せば山上付近からでも水が湧き出るため土地生産性が高かった。


傾斜地農法では空気の滞留が少なく常に循環している状況があり
山の山頂からでも水がでるので、山頂でも生活が出来、災害が起きても数千年傾斜地農法を守り抜いたのは
昔から続く信仰があったからこそ守り抜く事が出来た(巨木は切り倒さず山神の森(社叢林)を祀り、下部に民家、畑地、茶畑、採草地が交互に展開する。地盤の弱い部分に竹林を植えている。)

 

徳島の傾斜地農法が数千年続いているのは縄文後期から原始信仰:アニミズム 影信仰(遺跡)、石窪信仰(遺跡)、石棒のマツリ、立石列石(ストーン、アライメント)があったからこそ。土砂崩れや豪雨があってもいまだに傾斜地農法が続いているのは、信仰(アニミズム)が関連していて、たくさんの神様がいる中、大木を基に木の神様を残していた。木を伐採していたら今は農業の土壌が残っていなかったかもしれない。そんな信仰が受け継がれてきたからこそ今でも続いていると。

 

文化、伝統がただ意識の中のものだけではなく、生活を守ってきていたものかもしれないという事。そして時代の変化にともない、第1段階から第8段階までの進化を遂げて今も続いて

 

第1段階:縄文後期から原始信仰:アニミズム 影信仰(遺跡)、石窪信仰(遺跡)、石棒のマツリ、立石列石(ストーン、アライメント)

第2段階:縄文晩期~弥生:原始信仰の発展、特定の事物にカミ、精霊が宿る観念(カミ信仰) 森内部に簡素な石囲い(石殿)、立石列石、立石(メンヒル)

第3段階:弥生~古墳時代(本格的な農耕の開始):本格的なカミ信仰と斎場の形成 集会所としての斎場の形成「盤座」(巨石)信仰、「盤境」の形成、四至石などの結界的遺構、神山信仰(神奈備山)、銅鐸、銅剣のマツリ、祖霊信仰(氏神)、古墳祭祀

第4段階:古代(飛鳥、白鳳、奈良時代) 「社」(神社、ヤシロ)の成立 仏教の流入、修験道の成立

第5段階:奈良時代~平安時代:神仏習合思想の成立 山岳仏教(真言宗)、修験道の発展、仏像、御堂、芸能の成立

第6段階:鎌倉時代 鎌倉新仏教の流入、浄土宗、浄土真宗、念仏踊り

第7段階:室町時代 芸能の発達、板碑(供養碑)の流行

第8段階:近世(江戸時代以降) 御堂文化の隆盛、お大師講などの共同体を維持する講制度、庚申信仰(庚申塔)、地神さん(地神塔)、秋葉信仰(秋葉神社)、不動信仰(不動明王)、大師信仰(大師像)、地蔵信仰(地蔵さん、六地蔵)、お接待文化、遍路文化など

 

 

なお、歴史的な背景において林先生が触れる所ではないのですが個人的に興味のある個所として

阿波忌部は古代ユダヤ人が大陸を渡って、阿波の地にたどり着き、そこで天皇家に仕えていたであろう説

天皇家に仕えながら、全国に農業、音楽、などなど文化も伝えるのを武力ではなく平和的に行っていた。

そんな周りとの協調を図る「和」の精神を昔々から持っていた。その和の精神がこれからの時代を生きていく上での生き方、考え方として大切ではないか!という事で昔持っていたそんな素敵な精神を学ぶことにこれからのヒントがあるのではないか!と解釈しており


出土品から
イスラエル王国が12個あったユダヤ人の支族は散り散りになり、そのうちの10支族が国外へ流れその10支族の中に、祭祀を取り仕切っていたレビ族という支族がありました。アークを担ぐことが許されたのは、このレビ族だけであり、そのレビ族が日本に辿り着き、そのまま土着して様々な形でユダヤの文明を残している。その地が阿波(徳島)であるという説で、徳島の剣山に古代ユダヤの秘宝「契約の箱」がある。らしい。

 

 


それを空海が四国八十八箇所霊場を開いて結界を張り巡らせたことにより、四国は「死国(しこく)」として封印されることになりました。古事記・日本書紀など日本の歴史が編纂される時に、阿波の国にあったルーツは封印され、歴史の表舞台から消えてしまったという説があり、古代ユダヤの血筋・霊統を受け継いでいること、秘宝「契約の箱」が剣山に隠されている、というような秘密が外国に知られてしまったら、外国から侵略される危険が生じてきたので、外敵から自国や秘宝を守る必要に迫られ天皇家の出自を封印したのかもしれないということ。

関連するかもしれないところでは
天皇家に仕えていたのが歴史上抹殺されていることで
士農工商の最下部に位置付けられていたと言われ、忌部族以外にも卜部族という天皇家に仕えいた部族もあり
占いをやって、葬式をやっていた。それも天皇家のを行っていたとのことで、血統がまざっているであろうというのは近親相姦で障害を持つ可能性が高く、血統を大切にするからこそそこに他の血が交わらない様にとのことであえて他の部族が入らない様に排除する形式を持っていたとのこと。

そんな背景があり、歴史の表に出て来なかったのは
恐らく、現地の神社を見て感じる所で
ほぼ質素な神社ばかり。

 

 

さらに、林先生が現地で「これが忌部なのか!」と感じるのは
・みんな優しく
・衣食住すべて出来る
・誰か人をお連れするとおもてなしして頂ける

伝統的に受け継がれてきたものに加えてその土地で生活している人の人間性も含めて忌部の素晴らしさを感じた事を
語って頂きました。

松前さんからは
歴史的に支配の構造が生まれるのが当たり前の時代、阿波忌部族は平和的な感性で力の支配をせず、教え分け与え共存共栄、相互扶助の精神があった。

感性論哲学の創始者 芳村思風先生が説かれる、これからのあるべき人類の在り方「縦型社会から横型社会」それを2000年近く前から忌部は横型社会を営んでいて、これからの在り方を考える前に、忌部の地(徳島)に連れて行って、これからの時代を学ぶ前に思い出してもらう!
阿波忌部族が持っている人間性と、現在活動している阿波忌部女神ツアーの意味についてを語って頂きました。