・病弱だったこども時代でした。親の思いは深いですね。 | 南大阪|足もみ教室ノマド

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おうちでできる健康法

親の思いは深いですね。

 

 

足もみ夫婦です。

 

 

藤澤哲也です。

私は、
幼稚園の年長組から小学校1年生にかけて
2度、病院に入院したことがあります。


今は完治していますが、
当時は
急性肝炎を患っていました。


風邪が長引いて
微熱が続いている状態で
大きな病院に行ったところ
検査結果が急性肝炎ということでした。


当時をふりかえると、


小学校2年生までは給食は禁止。
小学校4年生までは体育は見学中心。


という状態でした。


給食が禁止だった小学校2年生までは、
午前中だけ学校に行って、
午後からは母親に迎えにきてもらってという生活です。


食事制限も多く、
食べてはいけないもののオンパレード。


おかげで、
お菓子やチョコレート、アイスクリームなどの類は
全く口にしない生活が続きました。


この点は
今にいたると、
体にとってはよいことだったのかもしれませんね。
とはいえ
大人になってからは、
お菓子もチョコレートもアイスも
そしてお酒もたくさんとる時代がありました。


もちろん
肥満体質、便秘体質となりました。


妻に出会い、
生活習慣と食事やアルコールの見直し、
その後、若石式足もみとの出会いを経て、


かなり体質改善できた今に至っています。


話を戻しますが、
急性肝炎を患って、
小学校3年生の時期には
肝機能は正常になりましたが、


念のため、
検査は定期的に行い
年に1回のサイクルとなった検査は、
18歳まで続けました。


18歳を区切りに、
完治として、
検査も卒業しました。


急性肝炎を患った当初は、
最短で1周間に1回の血液検査をしていました。


それが2週間に1回となり、
1月に1回となりとなっていくのですが


当時の私は年齢でいうと5歳から7歳にかけて。


自分自身はどんなサイクルかもわからないまま、
とにかく言われたまま血液検査に出かけました。


今となっては、
実家に帰ったときなど、
父や母と思い出話のようにしていることもあります。


そんなときに、
よく母親が、


検査の結果を聞きに行って、
診察室に入り、
カルテと検査結果に目を通して
第一声を発する
主治医の声をきくのが
一番こわくもあり落ち着かなかったと


言うのです。


主治医のつぶやきというか
第一声の前のつぶやきや表情、
それで検査の結果がわかってしまうとのことでした。


結果の悪いときがあっても
母親はいつもどおりの感じだったとしか
私自身は記憶していないのですが、
結構深く思い悩んだこともあったようです。


私自身、
結婚をし、
我が子が生まれ、
親となったときに、
リアルに母親の言っていたことが
実感できるようになりました。


今も実家に帰ると
今年50歳の私であっても
両親からすると子どもです。


子ども時代から注意されたり
世話をかけてしまうことはかわらないです。


親の思いは
いつまでもかわることなく深いものだと実感するとともに、


我が子に対する思いも
同じように思えています。


足もみに出あう前の生活のままだったら、
私自身の体はどうなっていただろうか。


妻に出あい、
足もみに出あい、


明らかに私自身の体の状態はかわりました。


我が子が年齢を重ねていくにしたがって、
親の私も年齢を重ねるのですが、


私自身が健康を維持しながら、
年齢を重ねていい大人になり、
人生を切り開いていく我が子の姿をみていきたいなぁっと思います。


夏休みも終わり、
新学期がはじまるこのタイミング。


いつも以上に
足もみにしっかり取り組んでいきたいと思う
私自身がいます。