「フィル・スペクター」、本名「ハーヴェイ・フィリップ・スペクター」は、米国の音楽プロデューサーです。
1958年、バンド「テディ・ベアーズ」を結成、自作曲の「くよくよするなよ」でデビューを飾りました。
そのB面に収められていた「会ったとたんに一目ぼれ」が、何を間違えたか、全米チャート第1位という大ヒットを記録してしまいました。
気をよくした彼は、その後、アルバムや数枚のシングルをリリースしますが、散々な結果に終ってしまいます。
そこで、彼は、音楽プロデューサーとしての活動に目覚め、1961年、フィレス・レコードを設立しました。
そして、「クリスタルズ」、「ダーレン・ラヴ」、「ロネッツ」、「ライチャス・ブラザース」などのミュージシャンをプロデュースしました。
中でも、彼を一躍有名にしたのが、「ロネッツ」の唄った「ビー・マイ・ベイビー」の大ヒットでした。
「フィル・スペクター」の作り出す音楽は、「ウォール・オブ・サウンド(音の壁)」と呼ばれました。
これは、数多くのスタジオミュージシャンを使って、ボーカルやコーラス、ギター、ピアノなど、各パートごとのテイクを複数録音して、それらを何回も重ねて再録音していく、いわゆるオーバーダビング(多重録音)という方法で、分厚い音を作り上げていくもので、当時としては超画期的な制作方法でした。
現代では簡単に出来る当たり前の方法ですが、この当時の未熟な録音技術を持ってこれをやり遂げたということは、時間と労力をどれだけ費やしたのか、まさに想像を絶するものがあります。
しかし、1960年代後半になってくると、ポピュラー音楽界は、大きな変貌を迎えます。
それは、ロックの時代の幕開けです。
スタジオワークで作成された完ぺきな音よりも、バンドのライヴ演奏による生の音を重視するという動きでした。
そのため、「フィル・スペクター」の音楽的存在感は次第に薄れていき、1966年にはフィレス・レコードは消滅してしまいました。
1966年、「ビートルズ」が、ライブのステージではスタジオでの録音の音を再現するのは難しいとの理由で、コンサート活動をやめてしまいました。
そこで、「フィル・スペクター」の再登場となりました。
「ビートルズ」のスタジオにウォール・オブ・サウンドを持ち込み、アルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」が完成しました。
1970年に発表されたアルバム「レット・イット・ビー」も、「フィル・スペクター」がプロデュースしています。
この後、「ビートルズ」は解散してしまいますが、ジョンとジョージは、「フィル・スペクター」の手腕に惚れ込み、ソロアルバムの作成に彼をプロデューサーとして起用しました。
ジョンの「イマジン」、ジョージの「オールシングス・マスト・パス」は、彼のサウンドが随所に生かされています。
ちなみに、ポールは彼の存在に不満を持っていたそうで、「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」にストリングスやコーラスを重ね録りしたことに激怒したといいます。
「フィル・スペクター」は、他に「ア・クリスマス・ギフト・フォー・ユー」というアルバムを1963年にリリースしています。
定番のクリスマスソングが、ウォール・オブ・サウンド一色にデコレーションされていて、彼の手掛けた「クリスタルズ」や「ロネッツ」などのフィル・ファミリー達が、クリスマスソングを唄っています。
なかなか楽しいアルバムに仕上がっていると思います。(一聴の価値ありです)
さて、実は、「フィル・スペクター」は、2003年2月に、ロサンゼルスの自宅で、ラト・クラークソンという女性を銃で射殺した罪で、懲役19年の刑を受けて、現在刑務所に服役中なのです。
現在は、昔の面影が無いほど、様相が変わってしまっています。
まさしく「フィル・スペクター」は、天才と狂気が同居していたのですね。
つづく