ダイアン・リネイ 「ネイビー・ブルー」 | ウルトラマン・Hの ひとりごと

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音楽について語りたくてたまらないんです。

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ダイアン・リネイ」は、1946年、フィラデルフィアで生まれました。

本名「Renee Diane Kushner」といいます。


1962年、Pete De Angelisのプロデュースで、「Little White Lies」という曲でデビューしました。

翌年、Bob Crewe(ボブ・クリュー)が作曲、プロデュースした「ネイビー・ブルー」が大ヒット、全米ヒットチャート第6位まで上昇しました。


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当時のレコード・ジャケットが、これ・・・、モノクロの写真が使われています。

この落ち着いた雰囲気、魅力的な腰つきといい、とても17才とは思えないですよねえ。

彼女はとてもチャーミングな女性だったようで、学生時代に美人コンテストで優勝したことがあったそうです。


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ネイビー・ブルー」とは、米海軍の制服と海の色にちなんだ紺色のことです。

制服のブルーと、海兵隊の恋人が海外に行ってしまうというブルーな気持ちを架けています。


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この曲のヒットを機に、彼女のコスチュームが海兵隊ルックになり、錨のマークを好んで使うようになりました。

この時のスタイルが、彼女のイメージとして定着したようです。


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日本では、1964年に発売となり、逸早くカバーしたのが「伊東ゆかり」さんでした。

他に、「伊藤アイコ」、「九重祐三子」、「パラダイスキング」等がカバーしています。


ネイビー・ブルー」の日本でのヒットを受けて、当時、日本ツアーが企画されたそうです。

しかし、彼女は大の飛行機嫌い、結局、海を渡ることはありませんでした。


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1964年、「キス・ミー・セイラー」をリリース、全米29位のスマッシュヒットでした。


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その後、「涙のサリー」、「おませな水兵さん」とリリースしますが、ヒットには恵まれていません。

1965年頃というと、アメリカン・ポップスやガールズ・グループ花盛りの時代が、ちょうど終焉を迎えた頃だったのです。


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1970年になって、ヒットした「ネイビー・ブルー」と「キス・ミー・セイラー」の2曲がカップリングで、日本だけでリリースされました。

これは、米国では翳りが見え始めたけれども、日本ではまだまだ根強い人気があったためでした。


私のステディが 海兵隊に 入隊して

世界の海へと 船出してしまった

私の 気持ちは とってもブルーなの~♪


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ネイビー・ブルー」の歌詞の中に、「TOKYO」という言葉が出てきますが、何とも感慨深いですねえ。


この時代、来日した外タレのコンサートなんかで、「ドモアリガト」なんて片言で言われるだけで、何故か感激してしまうような、そんな時代でしたね。


つづく